第2回 タイトルに偽りなし! 人は失恋して、成長するのだ 【BOOKレビュー】小林早代子『みんな、好きが下手』
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えっと、のっけから失礼して、誤解を恐れずに言いますが、こと恋愛に関して、失恋は適度にすべしというのが私の持論。なるべく若いうちに。
や、もうね、あの、世界に見放された感というかお前はいらん感というか生きていてもいいですか感は、しんどすぎるくらいしんどい。身は細るし気持ちも細る。辛くて辛くて辛くて辛い。どうして私ではダメなのか。なぜ私ではなく彼女(彼)なのか。あの時こうだったら、あそこでこうしていれば、と脳内たられば無限ループ。自分を卑下したり、自分をふった相手を恨んだり。
それでも、誰かから求められることと同じくらい、誰かから求められないことも、きっちり経験しておいたほうがいい、と思うのだ。そう思うようになったのは、歳をとってからなんですが。へへ、歳をとるって自分がどんどん楽になっていく(身体以外は)ことでもあるんですよ。あ、そっちの話はいずれまた。
というわけで、今回取り上げるのは、「令和の失恋小説決定版!」と謳われている『みんな、好きが下手』。作者は2015年「女による女のためのR-18文学賞」を受賞してデビューした小林早代子さんだ。
最初にタイトルを見た時は、「好き」に上手も下手もありますかいな、などと思ったんですが、いざ読んだら、あるわ、ある! に変わった。ジン太(本書の主人公)、お前、マジで「好き」が下手だな!
物語の真ん中にいるのは、このジン太(大学一年生)で、幼い頃からジン太の姉である藍を熱狂的に慕っている、ジン太の幼馴染・千秋、高三の夏からジン太と付き合い始め、今は北海道の大学で獣医を目指している美浦、そして藍の友人である那月が主な登場メンバー。遠距離恋愛になってしまった美浦、那月に惹かれてゆくジン太、それはもう犯罪では?くらいのレベルで、藍の一挙手一投足を把握することが生き甲斐のような千秋。
主人公のジン太は典型的な今どき男子で、そのキャラ造型が抜群に巧い。都内の実家(多分、そこそこ太い)住みで、容姿もイケてるし通っている大学の偏差値も高い、となると、そりゃ普通にモテますわな。でも、「愛情を言葉にするタイプの両親に褒められて育ったが、自分で言葉にするのはサボったままここまで来てしまった」と自己分析しているように、ジン太、なんというか徹頭徹尾、どこか客観的なんですよ。自分自身に対してもそうだし、他者に対してもそう。でも、それで特に問題ないだろ、くらいに思っていた。けれども、ここ数ヶ月、美浦とのやり取りが途切れてからはちょっとヤバっ、くらいにはなってきている。
ちょっとヤバっ、くらいじゃなくて、そこはというか、そもそもの自分の在り方にちゃんと苦悩したほうがいいよ、マジで。と思いながら読んでいくと、ジン太、ちゃんと痛い思いをして目が覚めるので、そこは大丈夫。そう、本書は失恋小説であると同時に、ジン太の成長小説でもあるのだ。巧い。
個人的にツボだったのは、千秋と藍の関係で、若干引いてしまうくらいの藍に向けられる千秋の過剰な「好き」が、実は(デフォルメされてはいるけれど)「好き」の本質を突いているところ。誰かを心から好きになる、ということは、ある意味、自分をかなぐり捨てることでもあるからね。一見危なっかしく思える千秋が、実は一番「好き」が上手なんじゃね? という。物語の最終盤、藍の独白がめちゃくちゃ腑に落ちると同時に、ぞくりとした。
さて、失恋小説といえば、このお方、文豪・夏目漱石の『三四郎』。学生時代に読んだきりなので、今回、久しぶりに読み返してみた。で、驚いた。古っ! めちゃくちゃ古っ! 昭和の時代に読んだ時は感じなかった「前時代」感たるや。もはや漱石は古典なんだな、としみじみしてしまった。でも、それもまたいい味になっている。
物語は主人公の三四郎が、東京帝大入学のために上京するところから始まる。上京途上の電車で向かいの席に座った女と、なぜか宿を共にすることになった三四郎が、据え膳を食わなかったエピソードが冒頭で描かれる。翌朝、その女は三四郎に「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と捨て台詞を吐いて去っていくのだけど、や、食わんでしょう、そこは。ヤバすぎるでしょう流石に、と思ってしまうのは、令和の今の感性なのかもしれず、当時はむしろ据え膳を食わなかった三四郎は、女々しいやつめ、と思われたやも。
上京した三四郎、まぁ、ぶっちゃけ田舎者ですよ。とはいえ、帝大生ですからね、エリート候補生であるわけです。頭でっかちの青年・三四郎が出会ったのは、東京のえぇとこのお嬢さんである美禰子で、この美禰子がまた、三四郎が自分に気があることを知りつつ、三四郎を翻弄する。三四郎に向かって「迷子の英訳を知っていらしって」「教えてあげましょうか」「迷える子(ストレイ シープ)ーー解って?」(出た! 「stray sheep」! )なんて言うんですよ。
ま、結局三四郎はふられるんですが。誰が読んでも、そりゃそうだろと思う。だって三四郎、ず~っとあぁだろうか、こうだろうか、と考えてばかりなのだ。向き合うべきは概念ではなく、生身の人間なのに。
純朴かつ頭が良い(それも帝大に入学するくらいだから、すばぬけて良い)若男子の、内に抱える鬱屈が余すところなく描かれていて、そこは、流石のロングセラー。文章が今ではちょっと読みづらいかもですが、ご一読あれ。
(つづく)








