第4回 ココロの酸欠状態のなかで……

夜明けまえに目がさめて

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イラスト/椋本サトコ
イラスト/椋本サトコ

 ウクライナ情勢をめぐる報道に接するのがつらい日々である。知らなくてはいけない、目をそらすわけにはいかない、と頭ではわかっていても、やっぱりしんどい。
 3月までは、ウクライナ情勢をめぐる報道の語彙は「侵攻」「攻撃」「反撃」「抵抗」「包囲」「掌握」「停戦」「交渉」などが多かった。それらの言葉で伝えられるのは「戦闘」の分析や今後の予測だった。首都キーウはどうなるのか、東部や南部の都市は持ちこたえられるのか、ロシア軍は掌握した地域でなにをしようというのか
 すごく乱暴にまとめるなら、「この街はどうなってしまうのか」が報道の中心だった。状況の深刻さは大前提ではあっても、その中で多少なりとも、停戦の見通しなどの希望を語る報道もないわけではなかった。
 だが、4月に入ると、主要な語彙が「民間人」「遺体」「殺害」「人道」「戦争犯罪」といったものに変わってしまった。これは「戦闘」を語る言葉ではない。ロシアが否定する言葉をつかおう。「殺戮」と「虐殺」の報告である。
 さっきの乱暴なまとめ方に倣うなら、「この街でなにがあったのか」を僕たちは次々に知ってしまった。しかも、それはまだ、終わってはいない。次の街で、また―明るみに出ていないだけで、じつは、もう
 アタマで受け止めて理解する分析や予測とは違って、感情、すなわちココロが激しく揺さぶられる。希望はかけらもない。取り返しのつかない出来事は、すでに起きてしまった。これからも起きるかもしれない。いや、おそらく確実に。知れば知るほどココロが揺さぶられて、削られて、ひび割れていく。
 だが、自分は傍観者にすぎない。「おまえが落ち込んでもしかたないだろう」と言われたら返す言葉はない。そこがまたキツいのだ。
 僕はいままで自分の書くお話の中で、悲しみや絶望、あきらめを背負った登場人物たちに、何度も何度も「深いため息」や「長く尾を引くため息」をつかせてきた。でも、それは間違いかもなあ、と最近よく思う。
 しんどいときの息は浅くなる。文字どおり胸がふさがれてしまうせいだ。深々としたため息をつこうにも、胸に溜まっている息がそこまで多くない。長く尾を引いて吐き出すほどの息を、そもそも吸い込めていないのだ。
 ゼミ生の一人が、4月6日の日記にこんなことを書いていた。

〈ウクライナにおけるロシア侵攻のニュースをTwitterで見た。ある男性の友人がロシア兵に殺され、それを男性とその知人たちの手によって埋葬する映像だった。「なぜ友人が殺されたのかわからない。ロシア軍は私たちにこう言った『救いに来た』と。そんなのは嘘だ」と涙を流しながらに語る男性の表情が忘れられない。これが戦争か。小学生の時に見た長崎の原爆資料館を訪れたときに見た憎悪にも似た、悲しみにも似た、どろどろとした感情が消化不良を起こしたみたいに喉につっかえた感じがした。これが戦争だ、と現実を突きつけられる。戦争、という二文字に宿る底知れぬ恐怖に耐えきれなくなって、スピーカーからビートルズをかけた〉

 感情が喉につっかえる―ああ、わかる、とうなずいてくれる人は、きっと少なくないんじゃないかな。

       *

 ニュースを観るたびに胸がふさがれ、感情が喉につっかえて、おまけにマスクもはずすことができないという慢性的なココロの酸欠状態のなか、それでも季節はめぐる。今年もまた桜が咲いて、散って、ゼミのメンバーも入れ替わった。
 新年度のゼミに加わった3年生は、2020年4月に入学した。新型コロナ禍とともに大学生活を始めたわけだ。
 入学式は中止された。授業が始まったのは5月の大型連休明けで、しかも全面オンラインだった。そこからの紆余曲折は、あらためてたどらなくてもいいだろう。とにかく新型コロナに翻弄されどおしの大学生活前半の2年間だったのだ。
 初回の授業では、後輩を迎える4年生ともども自己紹介をしてもらった。
 やはり3年生は、口々に言う。「2年間ほとんど大学に行けなくて」「まだ校舎や教室の位置が覚えられなくて」「サークルも入るタイミングがなくて」「ずーっとウチにいるしかなくて」「友だちができなくて」だからこそみんな、ゼミで過ごす大学生活の後半に期待している。ウェルカム、まかせろ、とは言いたいのだが、東京都の昨今の感染状況を見ていると、なんとも不穏である。
 第7波が来てしまうのか。いや、もはやすでに来ているのか。緊急事態宣言が発出されると、せっかく対面で始めた今年度のゼミも、またZoomに戻ってしまうのか
 全員の自己紹介が終わったあと、僕はゼミ生たちにこう言うしかなかった。
 いつまで対面でやれるかわからないけど、とにかくがんばっていこう―。

「いつまで」がわからない。終わりが見えない。意外とあっけなく終わるのかもしれないし、思っていたより長くかかってしまうのかもしれないし、じつはもう終わらないのかもしれない。
 新型コロナも、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻も、そう。僕たちの胸がふさがれ、ココロが息苦しくなってしまうのは、コロナに感染する不安や、社会が機能不全に陥る危惧、ロシアの暴挙への憤りそのものに加えて、終わりに向けてのカウントダウンがまったくできない状態だから、なのだろう。
 新型コロナ禍はいつまで続くのか。プーチンはいつになったら兵をひきあげるのか。
 1日でも早く終わってほしいと願いつつ、長丁場になってしまうことも覚悟して、さらには考えたくもないけど
 こうしてまた、息が浅くなってしまう。