第9回 ♪だって昔はそうだったんだもん

夜明けまえに目がさめて

更新

イラスト/椋本サトコ
イラスト/椋本サトコ

 出るだろうなあ、と思っていたら、やっぱり出た。
 お化けやお通じや政治家のスキャンダルの話ではない。プロ野球東京ヤクルトスワローズの主砲・村上むらかみ宗隆むねたか選手にまつわる「出る」である。
 ホームランが出る、ヒットが出る、塁に出る、新記録が出る、思わず感嘆のため息が出るそういう種類の「出る」は、いまさらここで言うまでもない。
 現役時代の長嶋茂雄さんにぎりぎり間に合ったアラ還のシゲマツ、去年の東京五輪あたりから、村上選手にすっかり夢中なのである。スワローズの試合の中継を探してBSやCSの番組表を毎日チェックして、村上選手の打席になると仕事を投げ出してテレビの画面にじっと見入る。
 打った瞬間にそれとわかるホームランの瞬間ももちろんいいのだが、僕の一番のお目当ては、左打席でバットを構える村上選手の顔をカメラがアップでとらえる瞬間である。いい目つきしてるよなあ、といつも思う。不敵な面構えに鋭い眼光である。目深にかぶったヘルメットが、戦国武将のかぶるかぶとにも見えてくる。大河ドラマに出ても十二分にやっていけるのではないか(ご当地の加藤かとう清正きよまさなんていかがでしょう)。
 いや、そんな僕の個人的な思い入れなどどうでもいいぐらい、村上選手がプロ野球史上に残る大活躍をしているのは間違いない。
 だからこそ、シーズン終盤の9月に入り、三冠王がほぼ確実になって、さらに年間本塁打数も王貞治さんの記録更新が話題になりはじめたあたりから、「そろそろ出るだろうなあ」と思っていたのだ。
 なにが——?
「オレなら村上選手をこうやって抑える」という往年の名選手たちのコメントである。
 さらには「いまどきのピッチャーは」「ワシらの時代は」という、昭和や平成のレジェンドたちの苦言である。
 予想どおり、出た。
 コメントや苦言の中身も予想どおり。
 それを思いきり乱暴にまとめてしまうなら、こうなるだろう。カッコの中は、ムード歌謡の、たとえば純烈じゅんれつのコーラスのつもりで読んでもらいたい。

 故意にぶつけろとは言わないが、よけなければ死球になるぞ、というエグい球を投げるべきである。そうすれば彼のバッティングも本来の感覚を失うはずだ——。
だって昔はそうだったんだもん)
 村上選手の調子をくずすために、もっといろいろ工夫して、彼の嫌がることをやるべきである——。
だって昔はそうだったんだもん)
 そもそも最近の選手は他のチームの選手と一緒に自主トレをしたり、試合前に気軽に話したりするが、真剣勝負をする相手とそういう付き合いをするのは甘すぎる——。
だって昔はそうだったんだもん)

 茶化して申し訳ない。
 でも、笑ってツッコミを入れてはいけないのなら、申し訳ないけど、もっと言葉は強くなってしまう。
 レジェンドの皆さん、あなたたちを支えてきた発想や価値観―「敵を倒す」という意識は、いまはもう、ずいぶん薄らいでいるのかもしれないよ。

 レジェンドたちが言いたいことは、よくわかるのだ。
 僕だって、さまざまなディテールを総取っ替えして微調整すれば、公私ともども、似たようなことを家族や仕事相手に言っているかもしれない(「学生にもだぞ、コラ」という声がゼミの教室から聞こえてきたような気がしました)。
 そんな自戒も込めつつ、かつて僕の胸を熱くしてくれた名選手たちが、イキのいいヒーローとの対決を「調子をくずす」「ストレスを与える」「やりたいようにやらせない」という視点でしか見ていないのが、ちょっと寂しかったのである。
 もちろん、あなたたちが現役に戻ったら、そうすればいい。でも、いま、現役でやっている若手たちに、あなたたちの声はどこまで通じるのかな

       *

 開会前から開会中、閉会から1年以上たったいまに至るまで、とにかく問題だらけの(まだ過去形にはできないね)東京オリンピックだが、後世に残る名場面を1つ挙げろと言われたら、僕なら、スケートボード女子パークで大技に挑んで失敗した岡本おかもと碧優みすぐ選手が、他国の選手たちに抱え上げられてチャレンジをたたえてもらった場面を挙げる。
 どうせなら、もう1つ? じゃあ、五輪に6大会出場を果たした男子板飛び込みの寺内てらうちけん選手が最後の演技を終えたあと、他国の選手やコーチ陣から長年の活躍をねぎらう大きな拍手を受けた場面にしようか。
 どちらも、ほんとうにすがすがしくて気持ちのいい光景だった。それが成立するのは、スケートボードも板飛び込みも「対決」型のスポーツではないからだろう。
 同じ大会に出場するライバルたちは、技の難度や美しさを競い合う相手ではあっても、直接戦う相手ではない。格闘技は言わずもがな、球技でも野球やサッカーなど「対決」型のスポーツは、試合相手をつい「敵」と見なしてしまいがちだが、岡本選手や寺内選手とライバルたちとの関係は、決して「敵」ではあるまい。むしろ、同じ競技を愛し、ともに各地の大会を転戦して、新たな技に挑む勇気や技を極めるまでの苦労をお互いにわかり合える-―そんな「仲間」としての意識のほうが強いのではないか?
 僕は東京オリンピックの2つの名場面をそう解釈していて、だからこそ、後世に残るのではないかと考えているのだ。

「対決」型のスポーツの面白さは、もちろん認める。目の前の相手を倒すというシンプルな構図に、勝者と敗者の鮮やかなコントラストは、やっぱり魅力的だよなあ、と思う。
 当然そこには勝つためのさまざまな戦術が出てくるだろうし、「相手の調子をくずす」「ストレスを与える」「やりたいようにやらせない」というのが大事な戦術だというのもわかる。もっとも、よけなければ死球になるような、すなわち身の危険を感じるような球で相手の調子をくずしてしまえというのは、さすがに戦術以前にいろいろ問題があるのではないか。「厳しい内角攻め」と「よけないと当たってしまう球」は、やはり意味が違うと思うのだ(「プロはそこまで厳しいんだ、シロウトは黙ってろ」と言われれば、それまでなんだけどね)。
 ただ、スポーツは「対決」型だけではない。スケートボードや板飛び込みにかぎらず、競い合いながらも直接には戦わない人気競技はたくさんある。羽生はにゅう結弦ゆづるさんや浅田あさだ真央まおさんのフィギュアスケート、内村うちむら航平こうへいさんの体操、高梨たかなし沙羅さら選手のスキージャンプ、平野ひらの歩夢あゆむ選手のスノーボードなどなど。陸上や水泳だってそうだ。
 エクストリームというかアートというか、まとめて「ベストパフォーマンス」型とでも呼ぼうか。つまり、よりスゴいパフォーマンスを見せたほうが高い評価を受ける競技である。
 これらの競技にも戦術や駆け引きはあるだろう。しかし、「〇〇選手の金メダルのためには、ライバルの調子をくずさなければ」「ライバルをケガをしそうな危ない目に遭わせればスランプに陥るのでは? これで〇〇選手の勝利は確実だ」などという発想には決してならないはずだし、そんなことを解説者や評論家が口に出したら、スポーツマンシップに欠ける、競技に対する冒涜である、と大炎上してしまうのではないか。なにより〇〇選手自身が激怒するに違いない。
 選手それぞれが最高の状態で競うからこそ、勝敗や順位の価値は高まるし、選手同士の敬意も生まれる。さらに称賛の声も、勝ち負けや順位の物差しだけでは測れない。「圧倒された」「世界で初めての技が生まれた瞬間に立ち会った」「美しさに涙が出てきた」という拍手喝采は、時として、勝者よりもむしろ敗者のほうにより大きく捧げられたりもするのである。
 いまはまだ、スポーツ界の主役はやはり野球やサッカーといった「対決」型で、「ベストパフォーマンス」型がメディアで大きく採りあげられるのは、オリンピックなどの期間限定にとどまっているのが実状だろう。
 しかし、将来はどうか。動画配信スマホ視聴の時代には、試合時間が長い「対決」型よりも、すぐにスゴさがわかる「ベストパフォーマンス」型のほうが相性がよさそうな気がするし、それ以上に、ライバルとの勝負に対するメンタリティーが、「ベストパフォーマンス」型のほうに着実に寄りつつあるのではないか。
「危ない内角攻めで調子をくずした村上選手を抑えても、オレ、全然つまんないっスよ」
 そう言い放って絶好調の村上選手に真っ向勝負を挑み、手痛いホームランを打たれた若いピッチャーの、悔しさと満足感の入り交じる表情、きっと、いい顔をしてると思うんだけどな。