第三章 ペンディングって言ったのに【4】

VR浮遊館の謎―探偵AIのリアル・ディープラーニング―

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前回のあらすじ

「そんなに深刻に考えることはない。これはゲームなんだ。もっと楽しく行こうじゃないか」その言葉が僕の心を少し軽くしてくれた。そうだ、これは僕の大切な友達であるフォースが作ったゲームだ。全力で楽しまないと損だ。

Illustration /レム
Illustration /レム

 食堂を出た僕は館の探索を始めた。
 手始めにこのドアから開けてみるか。
 景気づけに勢い良く開ける―ことは踏ん張りが利かず難しかったので、フワフワ四苦八苦しながら何とか開ける。
 やっとの思いで入れるようになったこの部屋は一体⁉
 狭い部屋のど真ん中に、壺が一つ埋め込まれている。
 壁には手洗台。蛇口を捻ると天井の一角に備え付けられている貯水槽からパイプを伝って水が流れ落ちてくると思われる原始的な造りだ。
 うん、これは間違いなくトイレだね。
 いくら中世風だからってボットン便所かよ…。
 大体、排泄物も浮かぶとしたら大惨事になるのでは…。
 と思ったが、奥の壁に何やら張り紙がしてある。
 筆記体風の日本語で「『壺よ、吸い込め』と唱えよ」。
 なるほど、そういう魔法の壺で世界観の問題と運用上の問題を両方解決したわけか。
 だが第三の問題もある。
 それはVR内で排泄すると、現実ではどうなるのかということだ。漏らしてしまうのではないだろうか。それが怖くて、おいそれと試してみる気にはなれない。
 幸い今はしたくないので大丈夫だけど。
 今回は二時間のゲームだからまだ大丈夫なものの、今後もっと長時間VR世界に滞在するようになると、トイレの問題は付きまとうだろうなと思った。
 一度閉めると再び開けるのは大変なドアだが、トイレのドアを開けっ放しにしておくのは何か嫌なので、閉めておくことにする。
 初っ端からトイレで出鼻を挫かれた気分だったが、気を取り直して探索を再開する。
 廊下を浮遊しながら移動していると、
「だーれだ」
 いきなり背後から誰かに目隠しをされた。
 こんなことをしそうなのは相以あいしかいない―でも相以の声じゃない⁉
 全身が硬直した。
 今の声は―。
「マソさん?」
「当たりー」
 視界を覆っていた褐色の手の平が離れた。
 しかし体はまだ密着している。
 背中に柔らかい感触。
 先程知り合ったばかりなのに、これは距離感がおかしい。
「あの、何かご用ですか」
「さっき食堂で見てたら合尾あいおさん、肩がコってるんじゃないかと思いましてね。それでマッサージしてさしあげよ思ったのです」
「ど、どうも」
 ナマステは半ば強引に僕の肩を揉み始める。両の親指が肉に入り込む快感と、わずかな痛み。
「あー、やっぱりコってますねー」
「そうですか? 仕事柄、デスクワークが多いからかもしれません」
「探偵助手でもデスクワークですか」
「肝心の探偵が画面の中にいますからね」
「ナルホド!」
 さすがヨガのインストラクター、踏ん張りが利かない状況でも的確にツボを刺激してきて気持ちいいことは気持ちいいのだが…。
 この状況は一体何なのだろう…。
 ナマステの手が腰に移動する。
「あっ」
 僕は思わず変な声を上げて、空中で海老反りになる。
「こっちもすごく硬くなってますよー」
「分かりましたから、もうその辺で…」
 逃げようとする僕を、後ろから伸びてきた手が捕まえる。
「ダメです。何事も中途半端なの一番いけません。マッサージを途中でやめると骨格が歪む可能性があります。ほら、ニッポンのことわざでも『生兵法は大怪我のもと』って言うでしょう」
「それはちょっと違う気が…うわっ」
 ナマステは空中で器用に上下反転すると、今度は僕の脚を揉み始める。
「うーん、これはチョット筋肉が足りてませんねー。他の部分に比べて特に細いです。毎日ちゃんと歩いてますか?」
「マジすか。ランニングを習慣にしてるから、どちらかと言えば脚だけ太いと思ってたんですが…」
「『マジすか』はこっちのセリフです。空腹時に走ったりしてませんかー? 逆に筋肉が落ちてしまいますよー」
「筋肉が分解されてエネルギーに使われてしまうからでしょう?」
「そうです、そうです」
「それ知ってるから気を付けてるつもりだったんですが…」
「今後ますます気を付けてください」
「はーい」
 いや、本当にこの状況は何なのだろう…。
 VRマッサージだったっけ、このゲームは?
 そう思った矢先、ゲームの目的を思い出させる出来事が起きた。
 遠くで誰かが叫んだ。
Serialシリアル Dreamersドリーマーズ! 夢よ、うつろえ!」