第四章 死してなお飛ぶ【1】
更新
前回のあらすじ
「輔さん! 死体が発見されました!」僕は思わず耳を疑った。ドア口に向かいかけた僕の背後から、赤井の呟きが聞こえてきた。「ペンディングって言ったのに……」

第四章 死してなお飛ぶ
糸の切れたマリオネット――死体の比喩によく使われる表現だ。
だが蝶野の死体は逆だった。
まるで糸で操られている最中のマリオネットのように、虚ろな顔を載せた首と四肢をあらぬ方向に曲げ、宙に浮かんでいる。
もちろん実際に吊られているわけではなく、浮遊の魔法が継続しているだけなのだろうが……。
首と四肢がプラプラと折れ曲がっているのは、浮遊しているせいではないだろう。
明らかに人間の関節が可動しない方向に曲がっている。
折られている。
翅をバキバキに折られて絶命しても、なお飛ぶ蝶。
ふとそんなイメージが脳裏をよぎった。不謹慎だと慌てて思考を打ち消そうとするが、一度こびり付いた情景は容易に剥がれてくれない。
そんな突飛な空想が浮かぶほど非現実的な光景なのだ。
それを眼前にして、僕はただただ硬直するばかり。
拠り所となる大地に足が付いていない分、余計にふわふわと不安な気持ちを抱えて漂うのみ。
一体何があったらこんなことになるんだ……。
「さて、全員が集まったので状況を説明したいと思います」
現場は錬金術の実験室とでもいうような趣のある部屋だった。
僕と赤井をそこに案内した後、他のプレイヤーたちを捜し回って連れてきた相以が、すらすらと話し始める。
「第一発見者は私です。首と手首の脈を取りましたが、感知できませんでした。このVRゲームが脈拍まで忠実に再現しているのであれば、亡くなっているものと思われます。ただしご承知の通り、私は肉体を得たばかりなので、脈を取るのも本日が初めてとなります。ゆえに正確に脈が取れていない恐れがあるので、どなたか確認していただけませんか」
そう言って全員の顔を見渡す。
しかし誰も動こうとしない。
当然だ。誰も死体の――それもグロテスクな変死体の――脈なんて取りたくない。
仕方なく僕が名乗り出ようとしたら、相以に制止された。
「輔さんはダメです。私の利害関係者なので共謀している可能性を疑われます。他の第三者の方にお願いしたいのです」
「いや、でもそれは難しいんじゃないかな……」
僕が言い淀んでいると、背後で声がした。
「私がやろう」
西賀だった。
僕は少し意外な印象を受けた。というのも名乗り出るとしたら、何となく飄々とした幽人か、さもなくば被害者の知人である赤井かと思っていたからだ。まさか高慢そうな政治家自らが汚れ仕事をするなんて。
相以が顔を明るくする。
「ありがとうございます!」
西賀は軽く壁を蹴ってわずかな推進力を得ると、慎重に死体に接近した。そしてまず首筋、次に右手首に触れる。
その後ろ姿は有事に頼りになるリーダーのようで、僕は西賀の評価を改めることにした。
果たして西賀は首を横に振った。
「確かに亡くなっているよ」
「やはりそうでしたか。ご協力感謝いたします」
「AIの社交辞令など要らん」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
赤井が慌てた口調で口を挟んだ。
「え、亡くなったといっても、それはゲーム内での話ですよね。現実世界の蝶野先輩はどうなったんですか」
「それは私には分かりかねます。ゲームオーバー扱いで今頃現実世界で目を覚ましているかもしれません。しかし一つだけ問題があります」
安堵の表情を浮かべかけた赤井の顔が固まる。
「問題って……?」
「このゲームは不完全ながら痛覚を再現しています。もし全身の骨が折れる痛覚が蝶野さんにフィードバックされていたら、どうなるでしょうか」
想像するだけで背筋が凍り付いた。
赤井も顔面蒼白になり、相以に何か言いかけたが、それをやめて突然天井に向かって叫び始めた。
「運営さん! 見てるんですよね! 緊急事態です! ゲームを中断してください!」
静寂。
そのまましばらく待ったが、世界に変化はなかった。
「どうして何も起こらないんだ……。明らかに異常事態が起きているんだぞ!」
相以が答える。
「これも想定されたゲームプレイの一環ということでしょう」
「VRで全身の骨がバラバラになって死ぬのが想定されたプレイだって? そんな馬鹿な話はないだろう!」
赤井は壁を殴り付けたが、踏ん張りが利かないこの状況では気の抜けた音しかしなかった。
幽人が対照的に落ち着いた声で言った。
「そもそも、どうして彼女はこんなことになったんだろう。現場の状況からは、とても事故とは思えないけど」
相以が答える。
「ええ、全身の骨を粉砕する罠がこの部屋に仕掛けられていない限りは」
僕は思わず苦笑しかけたが、すぐ不謹慎だと思い直して口元を引き締めた。