第四章 死してなお飛ぶ【2】

VR浮遊館の謎―探偵AIのリアル・ディープラーニング―

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前回のあらすじ

「なるほど、疑われるというのはこういうことなんですね。新鮮な感覚です」「死体の様子をご覧ください。首や手足がおかしな方向に曲がっています。この殺し方に覚えはありませんか」「骨折りジャック…」

Illustration /レム
Illustration /レム

「骨折りジャック…」

 赤井あかいが呟いた。皆がそちらを向く。
「まさか今話題の殺人鬼がプレイヤーに紛れ込んでいるとでも言いたいのかい?」
「その可能性があると言いたいのです。骨折りジャックは現実世界で活動していた殺人鬼。しかし私は現実世界ではコンピュータの中にいるAIなので殺人を犯すことはできません。したがって私は蝶野ちょうの殺しの犯人でもありません」
 西賀にしがが反論する。
「その理屈は成立しないな。そう主張するために、わざわざ骨折りジャックの犯行を模倣したのかもしれん」
 赤井も加勢する。
「そうだよ。それに蝶野さんの主張を認めるわけじゃないけど、彼女は君がAIじゃなくて人間が操作していると主張していた。もしそれが当たっていたら、君の『中の人』が本物の骨折りジャックだという仮説も成立してしまう」
「そこなんですよねー」
 二人の反論はすでに想定済みだったのか、相以あいはあっさりと認めた。
「いやあ、容疑を晴らさない限り探偵の資格を得られないなんて、身体性があるのも考え物ですね。人間の探偵の苦労が偲ばれます」
 西賀は気勢を削がれたように言った。
「まあ、こちらも君が犯人だと断定したいわけではないがな」
「あのー」
 ナマステがおずおずと手を挙げた。
「皆サンが言ってる骨折りジャック? って誰ですか? 切り裂きジャックの親戚?」
 そののんびりした口調で、緊張した空気が多少なりとも緩和される。
「あー、それは…」
 赤井は答えかけてから、相以の方をチラッと見た。
「用語の説明と言えばAIの出番だな。相以ちゃん、お願いできる?」
 相以を持ち上げる言い方からして、仮説とはいえ疑いをかけてしまったことに対する埋め合わせの意図があるのかもしれない。調整役である赤井らしい配慮と言えよう。
 その思惑(?)通り、相以は水を得た魚のように解説を始める。ゲーム内はインターネットには繋がっていないが、話題の殺人鬼ということであらかじめデータを収集していたのだろう。
「骨折りジャックは日本国内で約二十年間にわたって断続的に七人を殺害したとされるシリアルキラーです。被害者同士に関連はなく、犯行時期も離れていますが、たった一つだけ共通点があります。それは被害者が皆、生きているうちに全身の骨を折られていたということ」
「オー、それはとても恐ろしい…。でも今話題ということは、その七人目の被害者が最近出たということですか」
「はい、三ヵ月ほど前のことです。特筆すべき点として、パトロール中の警官が犯行シーンを目撃し、逃走するジャックに向けて発砲したのです。銃弾は命中したらしいのですが、川に転落したジャックは行方不明。発砲の是非を巡る議論や、そこまでしても逃がしてしまったことへの追及、逃げ延びたジャックがまた殺人を犯すかもしれない恐怖などで世論が白熱しました」
「ああ、あの事件ですか。さすがに思い出しました。でも骨折りジャックとはダサい名前ですね。もっと格好いい名前を付けてあげたらいいのに」
 ナマステの言葉に対し、西賀は断固たる口調で言った。
「ダサくて結構。犯罪自体、ダサい行為なのだからな」
「ジョーダンで言っただけですよ、そんなに怒らないで」
 ナマステは西賀に微笑みかけた後、相以を振り返る。
「でもそしたら警官が犯人の姿を見ているのではないですか。性別や年齢が判明していれば、この中の誰がジャックか分かるのでは?」
 相以が答える。
「夜だったこと、犯人がフードを被っていたことから、それらの情報は得られなかったそうです」
「それはザンネン…。あ、でも銃で撃たれた傷はどうですか? 三ヵ月前に撃たれたならまだ傷痕が残ってるかもしれません。今ここで全員の身体検査をすれば…」
 赤井が異を唱える。
「それはどうでしょう。確かにこのゲームのアバターは現実の肉体を再現したものですが、事前に写真は提供してないから、多分EGGがマシンの中に入っているプレイヤーをスキャンしているのかな。だとしたら服の下の傷までは再現できていないと思います」
 赤井は苦笑しながら続ける。
「勝手に服を脱がされていたら別ですが。それは嫌だな。脱がされていないことを祈ります。まあ、さっき食堂で現実より顔が大きいとかいう話になりましたけど、それを考えるとそこまで精密なスキャンはしていないのかなと。せいぜい顔と、大体の体格くらいでしょう」
「うーん、それじゃ難しそうですねー」
 ナマステは引き下がった。
 しかし相以は何かに気付いたようだ。
「待ってくださいよ。アバターはそうでも、現実の肉体に銃創があるかもしれないということは、運営にプレイヤーの体を調べてもらったらいいのでは?」
 赤井は興奮したように言う。
「おお、それは名案だ! 体を見られたくないとかいう人はいませんよね?」
 西賀も乗ってくる。
「当たり前だ。反対するということはジャックだと自白しているようなものだからな」
 赤井は再び天井に呼びかける。
「運営さん、聞いていましたか! 今すぐ全員の体を調べてください! もちろん男性は男性の、女性は女性のスタッフが―ってそんなことはこっちが言わなくてもちゃんとするか」
 西賀も怒号を飛ばす。
たちばな、聞こえているんだろう! 急げ!」
 またしても静寂。
「あまり伝わっている感がありませんね…」
 赤井は不安そうに言う。
 西賀も憤懣ふんまんを吐き捨てる。
「まったく、国が関与するプロジェクトに殺人鬼を紛れ込ませてしまった段階で醜態なんだぞ。橘の奴、事態の深刻さをちゃんと分かっているんだろうな?」
―しかし不思議だね」
 ポツリと呟いたのは幽人ゆにだった。
「何が不思議なんですか?」
 相以が尋ねる。幽人は答える。
「赤井さんも西賀さんも運営に呼びかける際、天井を見ていた。それはなぜ?」
「なぜってそりゃあ―」
 赤井はちょっと口ごもってから、苦笑いとともに答えた。
「敢えて言えば風習かな。もっと言えば本能かもしれない。人類が見えない存在に呼びかける時、天を仰ぐのは。もちろん運営が神様だと言いたいわけじゃないけど、一応はこの世界を創った創造神ではあるわけだしね」
「なるほど。しかし天地がないこの世界で、呼びかける相手はそちらにいるのだろうか。もし逆方向にいるのなら、果たしてそれは神か、それとも―」
 そう言いながら、ふわっと浮かぶ幽人の姿はどこか神秘的だった。