第三章 ペンディングって言ったのに【5】
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前回のあらすじ
夢の魔法がプレイヤー間を転々とすることで、ゲームが複雑になっている。なるほど、フォースの奴、よく考えたな。このゲームの肝に他のプレイヤーは気付いているのだろうか。

*
その後、探索を続けていると、突然辺りが暗闇に包まれた。
闇の魔法Eyeless Shadowをどこかで誰かが唱えたのだろうか。
隠密行動に向く魔法だが、他のプレイヤーに気付かれず何をしようというのだろう。ゲームクリアには必要なさそうな物騒な目的ばかりが思い浮かんで身震いする。単なる試し打ちならいいのだが……。
確か効力は一分間だったか? 念のため存在を気付かれないよう壁際でじっと息を潜めていると、じきに明かりは戻った。
館内は静かだ。
僕は溜めていた息を吐き出すと、壁を蹴って探索を再開した。
ドアを開く。
そこは遊戯室と思われる部屋だった。色とりどりのビリヤードの球が浮かんでいる。
男がキューを構えて白い手球を撞く。
手球が一番ボールを跳ね飛ばす。その一番ボールが二番ボールに衝突する。
遊戯室に混沌が生まれた。
僕は拍手しようかと思ったが、何だか嫌味に思えたので声をかけるに留めた。
「すごい腕前ですね、赤井さん」
赤井は振り返って照れ笑いをした。
「いやあ、球がプカプカ浮かんでいるのを見たら、つい三次元ビリヤードをやってみたくなってね。大変なことになった気がしないでもないけど」
飛んできた球を顔を逸らして避けながら、赤井が言った。
「二次元のビリヤードは随分されるんですか」
「まあ手慰みにね」
そう言いながらも自信ありげな表情。
遊戯室のドアが開いていたので入ってみたら、赤井がいたという状況だ。
「そうだ、さっきは済まなかったね。急に取り乱してしまって」
「いえ……」
赤井はすっかり平静を取り戻している様子だが、だからといって事情を聞けるほどの胆力は僕にはない。
「それからもう一点謝らせてくれ。お蝶夫人――蝶野先輩が随分失礼なことを言って申し訳ない」
彼は空中でも誠意が伝わるくらい頭を下げる。
僕は慌てて言った。
「赤井さんのせいじゃ――」
「いや、彼女をテストプレイに紹介したのは僕だから責任を感じてしまって」
「そうなんですか」
「うん、まず新鏡社と仕事の縁があった僕のところに依頼が来て、他の適任者は知らないかと聞かれたからAI研究者である蝶野先輩を紹介したんだけど、失敗だったな。何せ彼女は合尾教授とは――おっと、済まない。君の前でする話ではなかったね」
「え、蝶野さんは僕の父と知り合いだったんですか」
「知り合いというか何というか――まあ大した話じゃないよ。忘れてくれ」
「教えてくださ――痛ッ」
「大丈夫かい?」
苛立ちを覚えたのは果たして、側頭部にぶつかってきたビリヤードのボールのせいだろうか。僕は語気を強めた。
「ええ、僕は父について少しでも多くのことを知りたいんです」
僕の中にある父の記憶は家での姿ばかり。仕事の場ではどんな様子だったかも知りたいのだ。
赤井はキューをくるっと回転させて持ち替えた。
「分かった、そこまで言うのなら――。ただこれは僕が直接見聞きしたわけじゃなくて、あくまで彼女からの又聞きだから、何かバイアスのようなものがかかっているかもしれない。そこのところを理解した上で聞いてほしい」
ややくどく感じる前置きをしてから、赤井は話し始めた。
「数年前、人工知能の学会が終わった後の飲みの席で、蝶野先輩は合尾教授と同席することになった。当時彼女は合尾教授に憧れていて、興奮しながら自分のアイデアをしゃべった。合尾教授は大変興味深いと頷きながら、その話を聞いてくれたそうだ。――そのアイデアというのが《警察》と《泥棒》のAIが対戦学習を繰り返しながら成長していくというものだった」
「なっ――」
それって役職名以外は、相以と以相の関係とまったく一緒じゃないか。
「つまり赤井さんが言いたいのは――」
「いや、いやいやいや、勘違いしないで。僕が言いたいことじゃない。あくまで彼女から聞いた話だ。でも合尾教授が亡くなった後で、相以と以相のことが世界的なニュースになって、彼女がどう思ったか想像に難くないんじゃないか」