第一章 幻想ジェネレーション【3】
街角ハルシネーション―探偵AIのリアル・ディープラーニング―
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前回のあらすじ
昼下がりのAI探偵事務所。輔と相以とフォースがおしゃべりをしていると玄関のインターホンが鳴った。しょうもない押し売りでなければ、探偵事務所本来の客――すなわち飛び入りの依頼人かもしれない。

何だこれは。
一度気付いてしまえば何ですぐに気付けなかったんだと思うくらい、露骨におかしな点があった。それも二つ。
最初に目に入ってきたのは、サングラスに黒服という怪しい風体の男なのだが、何とも奇天烈なことになっている。転んだ瞬間をカメラに捉えられたと思われるのだが、ちょっと躓いたという感じではなく、ものすごく躍動的な体勢になっているのだ。具体的には、全身を地面と平行にした状態で数十センチ浮き、さらに上半身を上に向けて捻っている。こんな派手な転び方をする人間がこの世に存在するだろうか。まるで錐揉み回転をしている銃弾のようだ。
転んだ男の頭が向いた先の席に、中折れ帽を被った恰幅のいい初老の男が一人で座っていたが、こちらも大変なことになっていた。何と側に置かれたフォークを使わず、皿からトマトソースと思われるスパゲティを両手掴みで食べているのだ。麺は滝が逆流するように男の口に吸い込まれていく謎の挙動をしている。男自身もカッと目を見開いた、驚愕とも苦悶とも取れぬダイナミックな表情をしており、ラテン系の濃い顔立ちと相まって見る者に深い印象を与える。
およそ非現実的な光景――だが日頃から画像生成AIのトピックをチェックしている僕には思い当たる節があった。AIは写真さながらの精巧な画像を生成できる一方で、AI特有の癖が存在するのだ。
僕は写呂井さんに言った。
「AIは転ぶ絵を描くのが下手で、こんな派手なポーズになってしまう傾向にある。それから麺料理を食べる絵を指定すると、こういう風に手掴みや大袈裟な表情で食べる絵を出力してしまいがち。だからAI生成画像だと疑われたんですね」
これらの問題は最新のAIを教育すれば改善されるかもしれないが、環境によっては今でもそうなるだろう。また実情はさておき、特に麺の食べ方はネットミームとして有名なので、ネオラッドにとってはよく燃える薪だったに違いない。
写呂井さんは悔しそうに答える。
「はい、その通りです」
「やっぱりそうでしたか。あと二つ、こういうポイントがあるということですが……」
果たしてどこだろう。先の二つほど一瞥して分かる違和感はない。
テラスにはあと一人、ウェイトレスの若い女性がいる。派手に転んだ男や、麺を手掴みにしている男にはまだ気付いていないのか、お盆を持って店内に戻ろうとしている。彼女に特におかしい点は見当たらない、か――?
その時、相以が言った。
「このウェイトレス、手が変ですね」
「何だって?」
手が変――それは画像生成AIを語る際に付き物のキーワードでもある。
僕は急いでウェイトレスの手に着目した。
「本当だ」
指がグチャグチャとしていて本数も多い。指の先から別の指が生えているような……。間近で見たサンゴのようなグロテスクさを感じる。
最近は少しマシになったようだが、「AIは手を描くのが下手」「手を見ればAIが描いたかどうか分かる」というのは定番の話題なのだ。
理由には諸説あるが、そもそも手は人間でも描くのが難しいので、学習元のイラストにきちんと手を描いているものが少ないという説。AIは指の数が五本ということを本質的には理解していないので、手の動きや向きによって本数が増減して見えるのをそのまま描いてしまうという説などが言われている。
対策として、手だけ後から人力で加工したり、そもそも手を隠すポーズを取らせたりするAI絵師もいる。
「なるほど、確かにこれはAIっぽい――」
僕はそう言ってしまってから、写呂井さんの方を気にして慌てて口を噤んだ。僕は誤魔化すように続けた。
「あー、あと一つだよな。おかしな点というのは」
「えっ、まだ見つけられてないんですか」
相以が意外そうに言った。
僕は驚き半分苛立ち半分で尋ねた。
「君はもう見つけたって言うのかよ――って言うんだろうな、君のことだから。で、どこなんだよ」
「本当に分からないんですか」
感情のメーターが苛立ちの方に振れる。
「ええ、本当に分かりませんよ。で、どこ――」
「輔さんがすでに言及している箇所なんですけどね」
「僕が言及している箇所?」
そう言われると俄然、自分で考えなければならないという気持ちに駆られる。
僕は自分の発言を思い返しながら、写真を見直した。
だが分からない。僕は何か重要そうなことを言ったっけ?
「ダメだ。ギブアップ。答えを教えてくれ」
「日頃から頭を使わないと、どんどん衰えていきますよ」
「そういうのいいから。お客様が待っておられるんだ」
「やれやれ、仕方ないですね」
相以は散々勿体ぶってから言った。
「庇のItallyの綴りです。正しくはlが一つのItaly。英単語でイタリアを意味する名詞ですね。lが二つのItallyという単語は存在しません」
「あー、なるほど?」
答えを聞いてもヤラレタ感があまりない。