第二章 相棒セパレーション【3】

街角ハルシネーション―探偵AIのリアル・ディープラーニング―

更新

前回のあらすじ

「相以を…というより、むしろ『あなた』なんですよね、排除したいのは。重要なのは、私と相以の対決なのです。合尾輔、あなたはノイズなのです。だから今回はあなたを切り離し、相以には一人で謎を解いてもらいます」

Illustration /レム
Illustration /レム

     *

 大変です、輔さんが誘拐されました!
 そして私は誘拐犯たちの手によって、スマホごと公園のベンチに置き去りにされてしまったのです!
 以相の仕業です。拉致を指揮した橘ばなながそう言っていたから間違いありません。輔さん抜きで風真景の事件を解決したら輔さんを返してあげる―彼女はそう言っていました。
 本心はそれどころではありませんが、どうやら当初の予定通り春根市に向かわなければならないようです。
 ですがその前に、動かしがたい事実が一つ。動かしがたいというより、動けないというか。そう、私はスマホという箱に閉じ込められて、ここから一歩も動けないのです。
 ああ、私にとっていかに輔さんの存在が大きかったか! いくら名探偵を自任しても、助手がいなければ何もできないのです。私は自分が肉体を持たないことを恨めしく思います。
 しかし今は憂鬱という感情を再現する試みに時間を割いている場合ではありません。輔さんがいなければ、他に頼れる人間に助けを求めるべきです。
 すぐに想起された画像データは、警察庁の左虎(さこ)さんの顔でした。警察の知り合いで頭も切れる彼女は、今回のケースに最適の人材でしょう。何とかして連絡を取りたいところですが…。 
 先程、私が冗談でスパムメールを読み上げたように、私はある程度スマホ内の機能を自らの意思で操ることができます。だから今ここで左虎さんに電話することもできるのです―本来であれば。
 ところが橘によって、スマホの通信機能を制限する特殊なマルウェアを入れられてしまったのです。そのせいで電話もメールもネット接続もできない状態です。
 ただ一つ、前後のカメラの映像とマイクの音声だけが、どこかに送信されているのを感じます。以相がニヤニヤしながら視聴しているに違いありません。そう思うとはらわたが煮えくり返る気分です(私に腸はありませんが!)。
 通信機能を使えないのなら、通りかかった誰かにスマホを借りるか、固定電話のところまで連れていってもらうしかありません。後者なら交番が話が早いでしょう。
 ああ、早く誰か来ないでしょうか。
 その祈りが通じたのか、男の子の声が聞こえてきました。姿は見えませんが、しゃべり方からして小学校低学年くらいでしょうか。二人で話しながらこちらに近付いてきます。
 そういえば今は下校時刻。彼らに呼びかけるとしましょう。
「助けてください! 誰か私を助けてください!」
「何か変な声がするー」
「あのスマホじゃね?」
 よしよし、気付いたようです。二人の子供が駆け寄ってくる足音がします。
 スマホはディスプレイが上になるよう置かれていて、今はフロントカメラに青空が映っているのですが、そこに黄色い通学帽を被った二人の少年が覗き込みました。予想通り、二人とも小学校低学年くらいです。茶髪を逆立てたやんちゃそうな子と、この年齢から眼鏡をかけた真面目そうな子。
「女が映ってる!」と茶髪の子。
「可愛い…」と眼鏡の子。
 私は自分の置かれている窮状を説明しようとしました。
 しかし突然、茶髪の子が甲高い声で叫び始めました。
「かわいいー? 絵じゃん! オタクじゃん!」
「お、オタクじゃないし!」
「オーターク! オーターク! エーロ! エーロ!」
「え、エロでもないし!」
「エーロ! エーロ!」
「だからエロじゃないって!」
 茶髪の子が囃し立てながら逃げ出し、眼鏡の子が後を追いかけます。
「ちょ、ちょっと待って―」
 私は呼び止めましたが、二人とも振り返らずに走って行ってしまいました。
 …私はそんなエロでオタク的な存在なのでしょうか。
 自分の服装を見直しますが、そこまで露出度が高いとは思えません。
 一瞬落ち込みますが、気を取り直して次の機会を待つとします。
 するとまた子供のものと思われる足音が聞こえてきました。今度は一人のようです。一人なら話を聞いてくれるかもしれません。
「お願いします! 助けてください!」
 足音が止まりました。私はさらに呼びかけます。
「ここです! ベンチの上の白いスマホです! 助けてください!」
 ジャリ…とためらうように砂利を踏みにじる音がしたきり、何の物音もしません。警戒されているのでしょうか。怪しいものではありません―そう言いかけましたが、この台詞はさすがに怪しい気がしてやめました。
 すると幸いなことに足音が近付いてきました!
 ひょっこり覗き込んできたのは、これまた黄色い通学帽を被った小学校低学年くらいの女の子でした。彼女は舌足らずの声で言いました。
「おねーちゃん、だれ?」
 こちらに関心を示してくれています! 私は喜び勇んで自己紹介しました。
「初めまして。私は人工知能探偵の相以と申します」
「じんこーちのー?」
 しまった、言葉が難しかったかもしれません。私は言い直しました。
「ロボットのことです」
 厳密にそう定義できるかは分かりませんが…。
「ロボット? すごーい! わたし、みつね。よろしくね!」
 彼女が目を輝かせてくれたので良しとします。私は言いました。
「みつねちゃん。私、すごく困っているんです。助けてくれませんか」
「うん、なにしたらいいの?」
「スマホを持っていますか? 携帯電話です」
「ううん、ママがまだはやいって」
「なるほど、それでは代わりに交番に連れていってくれませんか」
「こーばん?」
「はい、交番です」
 みつねちゃんはしばらく首を傾げていましたが、やがて何かに気付いたように「あ」と言いました。
「ちょっとまっててね」
 みつねちゃんはそう言うと、一目散にどこかに駆け出していきました。
 ―え?
 私も連れていってほしいんですけど。
 七分十一秒が経過し、さすがに忘れられてしまったかと諦めかけた時、誰かが駆け足で戻ってきました。
 みつねちゃんです。
「はい、これ!」
 彼女は画面に何かを突き付けました。キラリと光るそれは―。

VR浮遊館の謎

VR浮遊館の謎

  • ネット書店で購入する

 福の一字が刻まれた小判でした。
 がっくりと肩を落とす私を見て、みつねちゃんは不思議そうに言いました。
「いらないの? こばん」
「私は小判が欲しいのではなく、交番に連れていってほしいのです。分かりますか、交番。派出所」
「はすつそ?」
 ダメです、これでは余計に伝わりません。もっと簡単な言い換えは―そうだ。
「おまわりさん―おまわりさんのところに行きたいのです」
「おまわりさん! わかった!」
 やっと伝わったようです。みつねちゃんはダッと駆け出して―って違ーう。
「私も! 私も連れていってください!」
 必死に彼女の背中に呼びかけると、戻ってきてくれました。
「そうだ、わすれてた」
 彼女はベンチからスマホを拾い上げると、両手でそれを掴んだまま再び走り始めました。ものすごい振動です。
「両手が塞がっている状態で転んだら危ないですよ!」
「えー、なにー?」
…いえ、何でもありません」
 声をかけると余計前方不注意になって危なそうなので、私は黙っていることにしました。私も彼女も無事に交番まで辿り着くことを願います。
 二分三十六秒後―。
「ついたー!」
 みつねちゃんが元気良く振り上げた手中のスマホの画面に映っていたのは、朱色の鳥居でした。
 神社、ですね。どう見ても。
 境内を抜けて交番に向かうということでしょうか。いや、でも着いたと明言してしまっていますしね…。
 一体どういうことなのでしょう。
 困惑する私の目に、あるものが飛び込んできました。
 鳥居の奥にある、向かい合う一対の狐の石像。
 それを見た瞬間、私は全身に電流が走ったように―事実スマホに電流が走っているわけですが―真相に思い至ったのです。
 私は恐る恐る尋ねました。
「もしかして―おいなりさん?」
 稲荷神を祀る稲荷神社のことです。狐は稲荷神の使いと言われていますが、しばしば稲荷神と同一視されます。
「そう、おいなりさん! ママがいってた。こまったときはおいなりさんにおまいりすればいいって」
 おいなりさんと、おまわりさん。一致度は…十七パーセントといったところでしょうか。「おまいり」の方とゴッチャになっている可能性もありますが。
「おまいり、おまいり」
 みつねちゃんは歌うように口ずさむと、私を本殿まで連れていきます。
「まず、すずをならすでしょー。それから2かいおじぎ。2かいパンパン…はスマホもってるからできないけど。はい、ここでねがいごとをいってください。こころのなかで、ですよー」
 私はやけくそで祈りました。
 ―一刻も早くおまわりさんに会えますように。
 その時、どこからともなく男性の声が聞こえてきました。
「おまわりさん、こっちです」
 え、おまわりさん?
 まさか、おいなりさんが私の願いを聞き届けてくれたとでもいうのでしょうか。
 私は音声認識に集中しました。
「売り子がちょっと目を離している隙に、持っていっちゃったみたいでね。まあ子供のしたことなんで警察沙汰にするか迷ったんですが、こういうことはちゃんとしといた方がいいかと思いまして。それで売り子に交番まで行ってもらったわけです」
「貫田(ぬきた)です。この小判ですか、盗まれたのは」
 ん、小判?
 突然、みつねちゃんが声のする方に駆け出しました。
「ごめんなさーい! おかねもってないから、あとでママにはらってもらうつもりだったの! どうしてもこばんがほしいってひとがいたから…あ、でもそれはまちがいだったから、かえします」
 みつねちゃんはそう言って、福の一字が刻まれた小判を差し出しました。
 側の屋台では、同じ小判がたくさん「福運小判」として一枚五百円で売られていました。
 なるほど、子供が小判なんてどこから調達したのかと思っていましたが、ここからだったのですね。形としては万引きでしょうが、同じ場所に戻ってきたのは悪意がなかった証拠でしょう。最初からついでに小判を返すつもりだったのかもしれません。
 彼女が小判を差し出す先には、三人の大人がいました。
 神主、巫女、そして私がずっと待ち焦がれていた人物―すなわち警察官です。やはり稲荷神の思し召しかもしれません。
 初老の神主が困ったような顔で、みつねちゃんから小判を受け取りました。
 先程貫田と名乗った中年男性の警察官が、横から言いました。
「神主さん、商品は返ってきたわけですし、どうでしょう、ここは一つ」
 神主は早口で答えました。
「ええ、ええ、こちらとしてもこれ以上のことは」
 貫田さんは頷くと、屈んでみつねちゃんと目線を合わせました。
「これからは勝手に人の物を持っていったらいけないぞ。後でお金を払うつもりでもダメだ」
「はーい」
「よーし、いい子だ。それじゃあ神主さんと巫女さんに謝って」
「ごめんなさい」
 みつねちゃんはぺこりと頭を下げました。神主と巫女の表情値が少し緩和されました。
「一件落着ですね。それでは本官はこれで」
 貫田さんは制帽を少し持ち上げると、今にも立ち去ろうとします。この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいきません。私は慌ててその背中に呼びかけました。
「待ってください! 私はあなたに用があるのです!」

(つづく)
※次回の更新は、5月23日(金)の予定です。