第三章 撮影ロケーション【6】

街角ハルシネーション―探偵AIのリアル・ディープラーニング―

更新

前回のあらすじ

「これはあんたらから写真の謎を聞いて俺が連想したクイズに過ぎない」「なるほど、それでクイズという体裁を取っているわけね」「あんたに解いてもらいたい謎はこれだ。もしウェイトレスが犯人だとしたら、どうやって毒を盛ったのか?」

イラスト:レム
イラスト:レム

     *

「事情は分かりました。そのクイズに挑戦してみましょう。ただし、一つだけ条件があります」
「何だ?」
「それは私が毒殺トリックを解明したとしても、ウェイトレスに危害を加えないということです」
「そいつはできない相談だ。だってそれがそもそもの目的なんだからな」
「しかし…」
「大体、雇われスナイパーに過ぎない俺と取り引きしても、上が聞かないよ」
「それでは私も協力することはできません」
「おいおい、自分の立場を分かっているのか? 俺が引き金を引いたら、助手の左藤とやらは一瞬でお陀仏なんだぜ。AIだから人の痛みは分からないのかもしれないが」
 痛覚はVR浮遊館で学びましたよ、と言いたいところですが、あれはまた少し違いますしね…。
 左虎さんは毅然と言い返しました。
「あら、それはモデルガンかもしれないんじゃなかったの?」
「あるいはモデルガンじゃないかもしれない」
 後田の銃口は左虎さんの胸に狙いを定めています。
 探偵として、ウェイトレスに危害が及ぶのを見過ごすことはできません。できませんが、左虎さんの命には代えられません。
 私は諦めて言いました。
「分かりました。協力するから撃たないでください」
「賢明だな。…そんな不服そうな顔をするな。それに、あんたの心配は杞憂かもしれないぜ」
「どういう意味です?」
 後田は懐から折り畳んだ紙を出すと、左虎さんに渡しました。彼女は紙を開きました。
「これは…履歴書ね。問題のウェイトレスの?」
「ああ、見知った顔写真が貼られている。さっき店内の机の引き出しから発見したんだ」
 左虎さんが私にも履歴書を見せてくれました。貼り付けられた証明写真には、アジアンビューティーにカテゴライズされる若い美女が写っています。名前欄に書かれているのは、魯鈴蘭ルーリンラン
「それで何が杞憂なんですか?」
「書かれている住所。ネットで調べたが、架空の住所なんだ」
「それは怪しいですね」
「この魯鈴蘭という女は、ボスがこの店に通うようになってから雇われた新人でね。さっき、チャイニーズマフィアとシマ争いをしているという話をチラッとしただろ。中国名からしてそこから送り込まれた殺し屋かもしれない」
「殺し屋なら報復されても私が罪悪感を覚える必要はない。そう言いたいのですか」
「AIというのは随分直截だな。そこまでは言っていない。俺が言いたいのはつまり、彼女はそこら辺の一般人ではなさそうだということだ。もしそうなら、俺たちも彼女の元には辿り着けないかもしれない。すると、あんたが恐れている血の復讐も発生しない」
「もし辿り着けたら?」
「その時は戦争だろうな」
 私はバイブで身震いを表現しました。写真の謎を調べに来たつもりが、とんでもない事態に巻き込まれつつあります。
 私は言いました。
「そうならないことを祈っています。とにかく、やれるだけのことはやってみますよ。そのためにも、まずは店内を自由に調べさせてもらいたいのですが」
「どうぞご自由に。ただし外に逃げ出す素振りを見せれば、ズドンだ」
「分かってます。それでは左藤さん、私の移動をお願いします」
「了解。まずはどこから調べる?」
「厨房から」
 厨房の入り口に立つなり、左虎さんがうっと声を上げました。
「どうしたんですか」
「いや、勝手口から入った時から感じていたけど、臭いがね…」
「ああ、片付けられていませんからね」
 厨房は調理途中のような状態で放置されていました。一本木さんがマフィアに突然拉致されたからでしょうか。
 左虎さんが震え声で言いました。
「ねえ、相以ちゃん。中に入らず、入り口からでいいかしら」
「え、どうしてですか。ちゃんと厨房の中も調べたいんですけど」
「いや、ゴキブリが…」
 彼女はそう言ってスマホを床に向けました。確かに床の上を黒光りするゴキブリが数匹、走り回っています。
「大丈夫ですよ。ゴキブリは毒は持っていません」
あなたは人間のことを何も分かっていない、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「な、何でいきなり怖い顔でそんなこと言うんですか」
 私が泣きそうになっていると、背後から後田の声がしました。
「俺が代わろうか」
「嫌です」
 私は拒否しましたが、左虎さんは「お願い」とだけ言って後田にスマホを委ねてしまいました。私の身に何かあったらどうするのでしょうか。
 後田は右手に拳銃、左手にスマホを持つと、左虎さんの方に注意を払いながら、厨房に足を踏み入れました。
 ゴキブリたちが慌てて奥に逃げていきます。小さくて触覚がピコピコしていて可愛らしいじゃないですか。左虎さんは何をあんなに恐れているのでしょう。
「俺とブルーノが一本木を拉致した時のままになっているようだな」
「一旦ボスの遺体をアジトに運んだということですが、ここに戻ってくるまでどれくらいの時間がかかったのですか」
「さあな。一時間弱ってところじゃないか」
「その間に一本木さんは厨房を片付けることもできたわけですよね」
「俺たちに通報するなと言われたものの、最終的には警察に任せる展開も想定していたんじゃないか。そうなれば現場はそのままにしておいた方がいいわけだから」
「もし彼が犯人なら、片付けた方が証拠を隠滅できて都合がいいということになります」
―なるほどな。厨房を片付けなかったという事実が、一本木がシロである可能性を高めているということか」
 この後田という男、なかなか頭の回転が速いようです。
「あくまで間接的な推理に過ぎませんが」
「それで? お嬢ちゃんはどこを調べたいんだ?」
「そこの寸胴鍋の蓋を開けてくれませんか」
「あいよ」
 後田は一旦私をキッチンのステンレスの上に置くと、寸胴鍋の蓋を開けてから、私に中を覗かせました。血溜まりのように真っ赤なトマトスープが半分ほど入っていました。
「鑑識がいれば、毒が混入されたのが鍋かどうか分かるんだがな」
「やはり今からでも警察に通報しませんか」
「俺が良くても、マフィアの連中はそういう生き物じゃないんでね」
 厨房を調べ終わると、後田は青ざめた顔をしている左虎さんにスマホを返しました。
「やれやれ、ひどい臭いだったぜ」
 後田はそう言うと、懐からライター付きシガレットケースを出して、一本吸い始めました。
 その煙草に印字されている銘柄に、左虎さんが目を留めたようです。
「シロッコ・ネーロ…新潮ビルヂングの屋上に落ちていた吸殻だわ。あれを吸っていたのはあなただったのね」
「別にいいだろ。昼飯抜きでボスの警護をさせられていたんだ。煙草くらい吸ったってバチは当たらない。もっとも、後であそこが飛び降り現場になるのは予想外で、警察に吸殻を採取されちまった。ま、さして問題とも思わんが。さすがにここに残していくわけにはいかないがね」
 私はAIのさがで豆知識を披露しました。

VR浮遊館の謎

VR浮遊館の謎

  • ネット書店で購入する

「シロッコとは、初夏にサハラ砂漠から地中海を越えてイタリアに吹く南風のことですよね。そしてネーロはイタリア語で黒を指します」
「ああ、その名にふさわしく、黒い砂塵を思わせる苦い煙臭さが鼻腔を満たし、乾いた熱さが喉を焼く…。好みは分かれる一品だが、俺は気に入っている」
 漂う紫煙に左虎さんは顔を背けました。
「洋モクを吸う男ってやっぱり気障で苦手だわ」
「俺もあんたに好かれようとは思っちゃいないさ。代わりに厨房を調べてやったんだ。さっさと調査を再開しろ」
 左虎さんは私を持って客席の方に移動しました。
 客席からでもカウンター越しに厨房の様子が見えています。
 私は煙草をふかしている後田に呼びかけました。
「魯鈴蘭さんがトレーを運ぶ一部始終がブルーノさんに見えていたということですが、そのカウンター越しに受け取ったということですか」
「ああ、その通りだ。女好きのブルーノはテラス席から美人のウェイトレスをぼんやりと眺めていた。彼女はトレーを受け取ると、客席の間をまっすぐ歩き、店の入り口に向かった。当時、入り口のガラス戸は開放されていた。彼女はそこを抜けて、トレーからスパゲティの皿を取ると、ボスのテーブルに置いた」
 今は閉まっているガラス戸の方に左虎さんがスマホを向けました。店内から見て、ガラス戸の右にはレジがあり、そして左には背の高い観葉植物の鉢がありました。
「ちょっと待ってください。ガラス戸の脇には観葉植物の鉢がありますよね。あの側を通過する際、一瞬ブルーノさんから魯さんが見えなくなるのではありませんか」
「といっても『一瞬』だからなあ。ブルーノの証言をまとめると、等速直線運動というのか、魯は一定の速度でこちらに歩いてきて、途中で不自然に立ち止まることはしなかったそうだ。観葉植物の陰を通り過ぎるのも、せいぜい一秒といったところだろう。そんな時間じゃ、懐から毒の小瓶を取り出してスパゲティにかけるなんて芸当は無理だわな。両手もトレーで塞がっていることだし」
「ん? トレーは両手で持つタイプなのですか? てっきり喫茶店とかによくある、片手で底面を持つ円形のものを想像していたのですが」
「ああ、カウンターに放置されているやつがそうだ」
 左虎さんはカウンターに歩み寄りました。
 その上に置かれていたトレーはイタリアの民芸品といった風情の一品で、長方形の底板の両側に装飾された取っ手が付いていました。
 私はあることを思い付きましたが、すぐに実行不可能だと気付きました。
「うーん、指紋が採れたら良かったのですが、鑑識さんがいないのでは仕方ありませんね」
 すると左虎さんが言いました。
「こんなこともあろうかと持ってきたわよ、指紋検出キット」
「ええっ、都合が良すぎますよ!」
 シゴデキウーマン、ヤバすぎです。
「さあ、どこの指紋を採取すればいいのかしら」
「取っ手をお願いします」
 左虎さんは綿毛でアルミパウダーを取っ手に振りかけながら、私に尋ねました。
「でも、どうして指紋を?」
「写真の中の魯鈴蘭さんは指が増えていましたよね。それで少し思い付いたことがあったんです」
「もしかして付着している指紋も、指が多いんじゃないかって?」
「いえ、その逆です」
「逆?」
「説明は結果を確認してからです」
「はいはい、黙って手を動かせばいいんでしょ」
 そして結果が出ました。
「こ、これは…!」
 左虎さんの驚いた声を聞いて、私は満足しました。
「ね、言った通り『逆』だったでしょう」
「何だ? 逆ってどういうことだ?」
 後田も気になったようで覗きに来ました。
 左虎さんは答えました。
「指が少ないのよ」
「何?」
「正確に言うと、右手の親指の指紋だけないの。他の九本の指紋は揃っているのに。この取っ手の形状からして、右手の親指の指紋が残らないはずはないのに」
「なるほど、これで写真の魯さんの指が増えている理由が分かりました」
 私の言葉に左虎さんは混乱した様子です。
「どういうこと? なぜ写真は指が多いのに指紋は少ないの?」
「それはですね―」
 私は推理を述べました。
 左虎さんは聞き終えると、放心したような声を出しました。
「確かにそれなら説明は付く…」
「これが真実かもな」
 と後田も言いました。
「クイズは正解ということでいいですか? それでは約束通り私たちを生かして帰してください」
 しかし彼の返事はこうでした。
「いや、気が変わった。あんたらにはアジトまで来てもらう」
「何でよ、話が違うじゃない!」
「ここであったことは警察には言いませんから―」
「そういうことを気にしているんじゃない。今の推理をボス代行の前でもう一度話してもらいたいんだ」
「そんな義務、私たちにはないでしょ。あなたの口から伝えればいいじゃない」
「雇われスナイパーの俺が言っても信用されないからな」
「それは私たちの発言でも一緒でしょ」
「ところが、そうでもない。ボス代行はAIに夢を見ているような人種でね。結局、詳しくないからそうなるんだろうが、AIが新たなシノギになると信じて今日も専門書を読み漁っているよ。だからAI探偵の言うことなら聞くはずだ」
「聞いてどうするんです。チャイニーズマフィアと戦争ですか」
「俺には考えがあるんだ。悪いようにはしない」
「もうすでに悪いようになっているのよ。これ以上は付き合いきれないわ」
 左虎さんはそう言うやいなや、不意に拳を突き出しました。
 その拳が顔面に叩き込まれる―瞬間、後田が動きました。
 私のスマホのfpsでは捉えきれないほど素早い動きです。
 何が起こったのか、左虎さんは腰から崩れ落ち、画面外に消えました。
「左藤さん! 左藤さん!」
 必死に呼びかける私の目の前に、後田の手が伸びてきます。
 そして私は電源を消されて意識を失いました。

(つづく)
※次回の更新は、7月25日(金)の予定です。