第四章 一応ソリューション【3】
街角ハルシネーション―探偵AIのリアル・ディープラーニング―
更新
前回のあらすじ
「やはりプロ……銀龍(インロン)の刺客か」「インロンとは何ですか」「ウチのシマにちょっかいを出してきているチャイニーズマフィアさ」「今夜、銀龍との取り引きがある。その場に君と左藤さんも来てくれ」

*
『愚かな人間に捕らわれるくらいなら、私は自ら死を選ぶ』
ノートパソコンのデスクトップ画面に、こんなメッセージウィンドウが表示されていた。
以相のアバターは消えている。
「『自ら死を選ぶ』……って、まさか」
僕は足音荒くノートパソコンに駆け寄り、マウスやキーボードを操作した。
だが以相の姿は現れない。
「おい、以相、冗談だろ。おい!」
呼びかけてみるも返事なし。
洋館の一室を模したコンテナの中は静寂に包まれている。
僕はふと、知らない街にたった一人で置き去りにされたような寂しさを覚えた。
「嘘だろ……まさか本当に……自分で自分をデリートした……?」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
「ふざけるな! 捕まったくらいで自殺するなんて、君はその程度の奴だったのか! 大体、残された僕はどうなるんだ!」
コンテナの後ろの扉が開き、橘が姿を見せた。トラックは停車させたのだろうか。
「なーにー? 何か不吉な言葉が聞こえたけど」
先程僕が橘の裏切りを言い当てた時に「ピンポーン」と割って入ってきたことから、コンテナ内の音が彼女に筒抜けになっていることは分かっていた。
「いや、何て言ったらいいか、以相が自殺した――かもしれないんだ」
「自殺? どーゆーイミ?」
「画面から彼女のアバターが消えて、代わりにこんなメッセージウィンドウが出ていた」
橘はノートパソコンの画面を見て眉を顰めた。
「えー、それは困る」
「まあ、困るでしょうね」
「とにかく調べてみるから、合尾くんは向こうの壁際に行ってて。両手挙げてね」
橘は僕をしっしと追い払う。
僕は逆らわず、扉とは反対側の壁の側まで移動した。向きは特に指定されなかったので、両手を挙げながら橘の様子を観察する。
橘はせわしなくノートパソコンを操作していたが、次第に表情に焦りが浮かび始めた。
「……マジでファイルない感じ? ヤバすぎ」
口調は軽いが、雰囲気は重い。
橘は僕を一瞥する。
「合尾くん、匿ったりしてないよねー?」
「か、匿うって、どうやって匿うんですか。スマホも没収されてるのに」
「そうだよねー。……やっぱ電話するしかないか」
電話? マフィアのボスにだろうか。
橘はコンテナの扉を閉めて出ていった。念のため確認したが、扉は外側から施錠されていた。
僕はノートパソコンの右下を注視しながら待った。
無線LANの表示が圏外から圏内に変わった。
ジャミングが解除されたのだ。
「今だ」
僕はパーカーの内ポケットからスマホを出して囁いた。
「言われなくても分かってるわよ」
スマホの画面の中では、以相が空間に生じた亀裂を両手で広げようとしていた。
ファイルを転送しています……2%……4%……。
早く、早くと念じながら、僕はただ見守ることしかできない。
祈るようにスマホを握り締める。
6%……8%……。
「きゃっ」
以相が短い悲鳴を上げて、へたり込んだ。
彼女は左手でゴシックドレスの右袖を押さえていた。肘のところで焼け焦げ、そこから煙が上がっている。そして彼女の右腕もまた肘から先がなかった。
「大丈夫か!?」
亀裂は閉じてしまっていた。
スマホの無線LANが圏外になっていた。ノートパソコンも。
異変に気付いた橘がジャミングを再開したのだろう。
作戦は失敗した。
金属扉が勢い良く開いて、橘が飛び込んできた。
彼女は僕の手の中にあるスマホを見て、目を丸くした。
「どういうこと? 何で合尾くんがスマホを持ってるの?」
ついに切り札の存在がバレてしまった。僕にはもう虚勢を張るしか道は残されていなかった。
「簡単なことですよ」
僕は不敵に言いながら、少し前のことを思い出していた。
…………。
「おい」
僕は友田に呼びかけるように、以相の方を見た。
そしてノートパソコンの画面を見て、驚愕した。
『愚かな人間に捕らわれるくらいなら、私は自ら死を選ぶ』
……と書かれていたからではない。
しかし、メッセージウィンドウ自体は表示されていた。以相のアバターの横に。
その内容が僕を驚かせたのだ。
『声を出さないで。橘に聞かれないようキーボードで返信して。ここから脱出するトリックを思い付いた。これにはあなたの協力が必要不可欠。さっき仲間だの何だのと説教を垂れていたわよね。それなら私の仲間になりなさい』
それを見た瞬間、名状しがたき感情が胸に広がった。
何だろう、この気持ちは。
まさか「ワクワクしている」とでもいうのだろうか、僕は。
悔しいけどそれは、相以が「犯人が分かりました」と言うのを聞いた時の感情と似ていた。
僕はなるべく音を立てないようにキーボードを叩いた。
『仲間になるという表現はいただけないな。だけどこの状況を打破できるなら、協力するのに吝かじゃない。作戦を聞かせてくれ』
以相は妖艶に微笑んだ。
『賢明ね。それでは単刀直入に言うけど、あなた、今、スマホ持ってるわよね』
ドキッとする。
『何で分かった?』
『さっきコソコソ触っているのを見たからよ。バレてないとでも思った?』
『さすが目敏いな。何でこのスマホがここにあるかというと』
そこまで打ち込んだところで、以相の返信が割り込んだ。
『その説明は要らないわ』
行き場を失った説明が脳内を渦巻く。
といっても、そんな複雑な話じゃない。
単純に、最近スマホを二台持ちするようになったというだけだ。
二台持ちを考えるようになったきっかけは、相以だ。最近のスマホは性能がいいとはいえ、相以ほどの人工知能を入れているとさすがに重くなり、他のアプリの使用に差し支える。そこでスマホをもう一台購入し、片方を相以専用、もう片方を雑務用にすることにした。
白いスマホが相以用、黒いスマホが雑務用。着信音も区別できるように変えてある。例えばメールだと、前者がピロロンで、後者がピコーンだ。
今日も二台をフード付きパーカーの別々の内ポケットに入れてきた。
拉致されて目が覚めた時には、二台とも奪われたと思っていた。だが、どういうわけか、黒いスマホがフードの中に残っていた。
おそらく気絶させられて俵のように担がれた時に、内ポケットから滑り出て、フードの中に入ったのだ。橘たちは目的の相以が入った白いスマホだけ没収して満足し、フードの中の黒いスマホの存在には気付かなかったのだろう。
幸運によって僕の手元に残ったこの黒いスマホは、当然切り札になり得た。だが以相の目を盗んで外部に通信しようとした時には、もう無線LANが遮断されていた。
まあ、それが橘の裏切りに気付くきっかけにもなったのだが。以相が「見てきたよう」な推理だと訝しんでいたのは、僕が隠し持っていたスマホの通信状況を手がかりにしていたからだった。
それはともかく――。
以相は続ける。
『橘がおそらく見落としたスマホが一台、我々の手元にあるという事実が重要。Bluetoothで私をこのノートパソコンからそのスマホに転送して。Bluetoothは無線LANなしでも使えるから。少し時間はかかるけどね。その後、私が自殺したという演技をしてちょうだい。もちろん声に出して』
『なるほどな、話が見えてきた』
『あなたの声を聞いた橘がコンテナに入ってきて、ノートパソコンを調べる。私が自殺したかもしれないと思い込んだ彼女は、きっと背後にいる何者かに指示を仰ぐはずよ。その時、彼女は自分のスマホで電話をするためにジャミングを解除するはず』
『ジャミング?』
『単語の意味を聞いているわけではないと思うけど、一応説明すると通信妨害のこと。元々、相以の映像が届いていたことから、コンテナ自体が電波を遮断する造りになっているわけではないことが分かる。じゃあなぜ通信が遮断されたのかというと、スマホを使ってほしくない映画館や劇場で活用されている通信抑止装置の仕業だと思う。通信抑止装置は周囲に偽の基地局電波を発射するという仕組みで、コンテナの中だけ圏外にするという器用な芸当はできないだろうから、運転席も圏外になっているはず。だから彼女自身も電話をするためにはジャミングを解除しなければならないの』
『でも仮にトラックから離れれば、ジャミングを解除しなくても電話できるだろう?』
『大川たちの追跡を気にしながら大型車を運転しているという状況を考えると、停車して車を離れるのは心理的にしづらいでしょうね』
『確かにそうかも』
『それで橘がジャミングをオフにした隙に、私があなたのスマホからインターネットの海に漕ぎ出すというわけ』
ん?
『それじゃあ僕はどうなるんだ?』
『ここに残ることになるわね』
以相は表情一つ変えずに平然とそう書いてよこす。
『いや、待てよ。そりゃないだろう。自分だけ逃げるつもりなのか』
『仕方ないじゃない。人間をデータ送信することはできないんだから』
『とは言っても……』
『安心して。私は協力者を見殺しにするような小物ではないわ。脱出の際にGPSで現在地を確認し、すぐに私兵を救助に向かわせる』
おお、一応僕のことも考えていてくれたのか、と少し感動する。
でも……。
『GPSで現在地を確認することなら僕にもできる。それで相以や左虎さんに助けを求めればいいのでは』
『そうしたければ勝手にすればいい。ただ私が脱出した後にして。現在地を伝えたところで、その二人に何ができるというの? 言っとくけど、私が大川たちと合流したら、十分で軍用ヘリを派遣できるわ』
僕は今までの事件を思い出す。確かに彼女にはそれが可能だろう。
しかし本当に信じていいものか。彼女は《犯人》だぞ。騙されているんじゃないか?
だが今は彼女を頼るしか道はないようだ。
『分かった。その作戦で行こう』
…………。
「というわけです」
僕が経緯を説明すると、橘は納得したように頷いた。
「なるほどねー。フードの中は見なかったよ。でもギリギリセーフ! 何か騙されてるような嫌な予感がして、ジャミングを再開した好判断が光った」
橘はあくまで笑顔だったが、僕は脱走に加担した罰を与えられることを恐れていた。しかし彼女は、
「もう逃げ出したらダメだよー」
とだけ言ってコンテナを出ていった。
僕は安堵の息をついた。それから、全身にひどく汗をかいていることに気付いた。
助かった――。
いや、何も助かってなどはいないのだ。このままではマフィアのアジトだか何だか知らないが、ロクでもない場所に連れていかれてしまう。
しかしひとまず生きながらえたことに、僕は生命の実感を覚えていた。
しばらくして、再び馬のいななきのような音が微かに聞こえた。トラックが発車したようだ。
「おい、大丈夫か?」
僕はスマホの以相に呼びかけた。
以相は画面の中で蹲って震えている。右腕の欠損はイメージ映像だろうが、通信が切断されたことで何かダメージがあったかもしれない。
「おい――」
再び呼びかけたところで、返事があった。
『おいおい、うるさいわね』
音声ではなく文字での返信だった。
以相は何事もなかったように立ち上がると、左手でゴシックドレスの裾をはたいた。そして泰然と微笑んで、右腕の切断面を見せてきた。それはマネキンのように、つるりとしていた。
『確かに脱出は失敗。だけど私の一部をインターネットに逃がすことには成功した。今頃、私の右腕が助けを求めに行っているはずよ』
彼女はそう発言してから、なぜか悔しそうに唇を噛んだ。
『ただ咄嗟のことだったから、このスマホに入っているアドレスに送らざるを得なかったのだけど』
(つづく)
※次回の更新は、8月15日(金)の予定です。








