第四章 一応ソリューション【4】

街角ハルシネーション―探偵AIのリアル・ディープラーニング―

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前回のあらすじ

『脱出は失敗。だけど私の一部をインターネットに逃がすことには成功した。今頃、私の右腕が助けを求めに行っているはずよ。ただ咄嗟のことだったから、このスマホに入っているアドレスに送らざるを得なかったのだけど』

イラスト:レム
イラスト:レム

     *
 
 取り引き場所の港湾倉庫に着いた時には、すでに日が沈みかけていました。
 海に溶ける夕日が血を連想させて不吉です。
《血染めのトマト》側は私を除いて六人。ルドヴィーコ・ヴェルデ、ブルーノ、後田、ロープを解かれた左虎さん、そしてアジトにいた二人の黒服。
 一方、倉庫内で待ち受けていた《銀龍》の人間は五人。
 蛍光灯が時折明滅する倉庫の真ん中で、六人と五人が一定の距離を置いて向かい合いました。いっそこのまま花いちもんめでも始まってくれればいいのに―私は平和を願いますが、到底そんな雰囲気ではありません。
《銀龍》のボス呉一二は白髪交じりの黒髪をオールバックに撫で付け、フレームが細い眼鏡をかけ、縦縞の高級スーツに身を包んだ小柄な人物でした。こけた頬骨が冷酷な印象を与えます。
 私はふとその顔に見覚えがある気がしました。会ったことはありませんが、どこで見たのでしょうか。私が脳内の顔画像データを検索しようとした矢先に、呉が言葉を発しました。
「一、二、三、四、五…」
 呉は右手の指を順番に立てていきます。そして最後に左手の人差し指を立てました。
…六。どういうことでしょう。五人で来るようにお願いしたはずですが」
 イタリアンマフィアたちよりも訛りのない日本語で、どこか慇懃無礼な口調でした。
 ヴェルデは左虎さんを一瞥してから、陽気に答えました。
「こちらの女性はゲストのようなものさ。君たちを脅かす存在じゃない」
「ゲスト? マフィアの取り引きにそんなものが必要ですか? それからヴェルデさん、あなたはなぜさっきからスマホを構えているのですか? まさか録画でもしようというわけじゃないですよね」
「もちろんそんなことはしない。やるのは推理だ」
「推理?」
 ヴェルデは輔さんの白いスマホを我が物顔で突き付けました。
「今日は高名なAI探偵の相以さんにお越しいただいている。ゲストと紹介した女性はその助手だ」
 呉の顔に困惑の色が浮かびました。
「AI探偵の相以…ええ、確かに存じ上げています。ですがなぜ? 探偵なんてマフィアの取り引きにはもっと不要なものでしょう」
「いやあ、そんなことはない。片方が隠し事をしていたらフェアな取り引きにならない。それを暴く探偵は必要だ」
「隠し事? 一体何の話をしているんです?」
「お前らがマリオを毒殺したってことだよ」
 ヴェルデがいきなり声にドスを利かせました。
 呉は一瞬、身を固くしたようでした。ですが表情は一切変わりません。
 横にいた《銀龍》の一員が中国語で何か言いかけたのを、呉は片手を挙げて制しました。
「ちょっと待ってください、ルドヴィーコ・ヴェルデさん。今の発言は『告発』と受け取ってもよろしいのでしょうか」
「ぜひとも受け取ってくれたまえ」
「間違っていたら大変なことになりますよ。もちろん証拠があって言っているんですよね?」
「ああ、AI探偵さんが全部説明してくれる」
 いや、証拠はないですよ? あなた自身、アジトでそう言っていたでしょ?
 呉は芝居がかったように肩を竦めました。
「AIの言葉を盲信するのも考え物だと思いますがね」
「これからはAIの時代さ。さあ、相以さん、解決編をどうぞ!」
 私はやむを得ず先程の推理を繰り返しました。
 聞き終わると、呉は右手の人差し指と中指で眼鏡のつるを上げました。
「確かに面白い推理ですね。ですが、これは証拠とは言えません。その魯鈴蘭というウェイトレスが我々と関係しているという証拠はどこにあるのですか。まさか中国人らしい名前だからという理由だけで言っているわけではないでしょうね」
 まったくもって正論ですね!
 犯人を告発するには証拠が大切ですが、今回ばかりは証拠が見つからず、このまま場が流れてくれないか―私はそんなことさえ思い始めていました。
 しかし私は気付いてしまったのです。
 そして一たび気付いてしまえば、口に出さざるを得ないのが探偵のさが
 私は腹を決めました。
「呉一二さんにお伺いしたいのですが」
 呉はAIに名前を呼ばれたことが意外だったように眉を上げました。
「何でしょう?」
「先程、右手の人差し指と中指で眼鏡を直していましたよね。ですがそういう動作は普通、親指と人差し指でやるものではないでしょうか。私も先日、一時的に身体性を得たことで実感が深まりましたが、親指は物を掴むために最も重要な働きをする指です。それを使わないのは不自然に思えます」
 呉は一瞬、言葉に詰まったようでした。
…ただの癖ですよ」
「癖。なるほど、そうなのかもしれません。ではどうやったらそんな不自然な癖が身に付くのでしょうか。右手の親指が不自由な場合? しかし呉さんは私たちの人数を数える際、右手の指をすべて立てており、親指が不自由とは思えません。あるいは、一時的に右手の親指が不自由になるということがあるのでしょうか。例えば、毒を隠したサムチップを嵌めている場合」
「えっ、どういうことだい」
 ヴェルデが声を上げました。イタリアンマフィアたちがざわつきます。対照的に、チャイニーズマフィアたちは不気味な沈黙を保っています。
「そこで私は呉さんの右手の親指を観察しました。そして先端に、治癒寸前のかぶれた痕を認めたのです。つい最近、致死性の猛毒が長時間そこに触れていたかのような痕跡です」
 呉は自分の右手をじっと見つめました。親指を隠す素振りはありません。
 私は続けました。
「あなたは日常的に毒を隠したサムチップを嵌めたり、それで親指がかぶれたりしていた。それで親指を使わず眼鏡を直す癖が付いたのでしょう」
「魯鈴蘭と呉一二が同じ手口を使っていた―つまりそれが《銀龍》に伝わる暗殺術ってことかい?」
 ヴェルデがスマホの画面を覗き込んできます。私は首を横に振りました。
「いいえ、私は呉さんの顔を初めて見た時から、どこかで見覚えがあると感じていました。顔認証に優れるAIの私がそう感じたということは、それは揺るぎない真実なのです。脳内のデータベースを検索すれば、すぐに分かりました。風真景さんの写真と、履歴書の写真に映っていた魯鈴蘭さんと同一人判定が出ました。すなわち、呉一二さんは魯鈴蘭さんと同一人物なのです」
「お、おい、ブルーノ、そうなのか?」
 魯と直接の面識がないヴェルデが尋ね、ブルーノが答えます。二人とも狼狽を隠せていない様子です。
「い、いや、俺には分からねえ。だって顔が全然違うし―そもそも呉一二は男じゃないんですかい?」
「それは―」
 呉の声が男性から女性のものに変わりました。
「私からお答えしましょう」
「お、お前…」
 ヴェルデは気圧されたように一歩下がり、呉は一歩進み出ました。
「確かにあなたの言う通り、これからはAIの時代のようですね。相以さんの言う通り、私が《銀龍》のボス呉一二にして、Pasta Italyのウェイトレス魯鈴蘭です」
「だが顔は…整形でもしたっていうのか?」
「整形といっても外科的手術ではありません。中国四千年の歴史が培った『毒法』の力です。血行と筋肉を操作し、肉付き・むくみ・肌つやを変化させ、まるで別人のような容貌にしてしまう、そういう技術があるのですよ」
「どうしてマフィアのボスが直々にスパゲティ屋に潜入してまで暗殺を?」
 私が尋ねると、呉は端的に答えました。
「趣味です」
「趣味?」
「ええ、毒殺ほど楽しいことはこの世に存在しません。綿密に計画を立て、一瞬の隙を突いて毒を盛り、ターゲットが苦しみ始めたのを確認した時の快感―それのために私は生きているのです」
「へっ」
 ヴェルデが挑むように笑い飛ばしました。
「何が趣味だ。格好付けるな。金の問題だろ。今のご時世、《銀龍》の懐事情はウチと同じくらい厳しいはずだ。だからウチのシマにちょっかいをかけてきているわけだしな。お前らには暗殺者を雇うほどの金もないのさ。ボス自身が汚れ仕事をしなきゃいけないほどにな」
 呉は右手の人差し指と中指で眼鏡のつるを上げました。
「まあ、それもまた一つの真実だと認めましょう」
「それにしても、随分簡単に自白したもんだ」
「最初からあまり隠す気がなかったものですから」
「それってつまりそういうことか?」
「ええ、探偵の活躍は終わり。ここからはマフィアの時間です」
 呉たち《銀龍》の五人が一斉に懐から拳銃を抜きました。
 突然、私の目に映る世界が勢い良く回転しました。ヴェルデがスマホを放り投げたのだと気付くまで、しばらく時間がかかりました。
 スマホが床に落ちた音を皮切りに、発砲音が飛び交いました。
 天井しか見えない私に、恐るべき声が聞こえてきました。
「きゃっ」
 間違いありません、左虎さんの悲鳴です。
「左虎さん、大丈夫ですか、左虎さん!」
 私は偽名を使うのも忘れて叫びますが、銃声と怒号に掻き消されてしまいます。
「うげっ」
 これはブルーノでしょうか。
「伏せろ」
 後田の声です。
 誰かがスマホを掴みました。
 景色が目まぐるしく流れ、元に戻った時には、木箱の側面が映っていました。
 積み重なった木箱の陰で、後田が左虎さんの肩を抱いています。私は慌てて尋ねました。
「左虎さん、お怪我はありませんか」
「ええ、何とか」
「お前ら黙れ」
 後田はそう言うと、床に近い位置に設けられた地窓を蹴破りました。
 彼は私たちを連れて外に転がり出ました。
「前澤(まえざわ)係長、ご無事ですか!」
 宵闇にパトランプが多数回転する中、スーツを着た若い女性が駆け寄ってきます。
「こちらへ!」
 彼女の誘導で、私たちはパトカーの陰に避難しました。
 すれ違う形で、完全武装したSAT隊員が大勢、倉庫の入り口に走っていきます。
「あなたはまさか…」
 左虎さんの問いかけに、後田が答えました。
「改めて自己紹介させてもらおう。俺は前澤。フリーのスナイパーを装って《血染めのトマト》に潜入していた公安だ」
「公安…」