第五章 山荘ディスソリューション【1】

街角ハルシネーション―探偵AIのリアル・ディープラーニング―

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前回のあらすじ

コンテナの中が今まで以上に静かに感じられた。音のない空間では時間がゆっくり流れる気がする。…どれほど時間が経っただろうか。突然コンテナの後ろの扉が開き、橘が現れた。彼女は呑気な声で言った。「着いたよー」

イラスト:レム
イラスト:レム

 目的地に到着したようだ。イタリアンマフィアのアジトか、西賀八作にしがはっさくの根城か、はたまた…。
以相いあちゃんは今どっち?」
 たちばなの拳銃がノートパソコンとスマホの間を数往復する。銃口がこちらに向く度に心臓が跳ねた。
「私はここにいる」
 僕が握り締めているスマホの中で以相が言った。
「あ、そ。じゃあスマホは私が預かっとこうかな」
 橘が右手を差し出す。僕は及び腰で彼女にスマホを渡した。
「さあ、下りた下りた。下りた先でもジャミング利かしてるから、逃げようとしても無駄だよ」
 橘は工事現場のガードマンの誘導灯のように拳銃を動かす。僕は出荷される羊の気分で扉の外に出た。
 今まで囚われていた洋館は予想通り大型トラックのコンテナだった。
 辺りはすっかり暗くなっていた。コンテナから漏れ出した明かりが、木々を切り絵のごとく照らし出す。木は数本ではなく、鬱蒼と生い茂っている。草と土の臭い。葉と虫のざわめき。どこか人里離れた山か森の奥にいるようだ。
 こんなところに誰かが待ち受けているのだろうか。殺されて埋められてしまうだけなのではないかと怖くなる。
 しかし気持ちが落ち着くにつれ、ただ自然の中にいるだけではないことが分かってきた。
 例えば地面。硬い。土ではなくアスファルトだ。
 そして光源はコンテナからのものだけではなく、もう一つあった。
 山荘だ。
 山荘の一階の窓から暖色の光がここ―駐車場まで届いている。
 山荘といってもログハウスのようなものではなく、お金持ちの別荘のような立派な造りだ。
 それが闇の中にぼんやりと浮かんでいる。ハヤカワのクリスティー文庫の表紙のような幻想的な光景だった。
 今、山荘の玄関が開き、何者かが出てきた。
 キィ、という金属の軋みが聞こえた。
 車椅子だ。車椅子に乗っている誰かと、それを押す誰か。そのシルエットが暖色の光に浮かび上がる。
 山荘の入り口にスロープがある。二人はそこを下りてくるのだ。
 そして僕たちの前まで来た。
「嘘だ―」
 思わず声が出た。
 僕は車椅子を押している男を知っていた。
 しかし、西賀八作ではない。
 そういえば、死んだはずの国会議員はもう一人いた。
 西賀同様、彼もまた橘の先輩議員だった。
 だけど僕は彼の死体をこの目ではっきりと見たのだ!
 首相公邸の地下!
 密室と化した寝室の中で!
 確かにその死体は顔と両手が焼かれていた。
 入れ替わり?
 だがあの事件はVR浮遊館のような、夢と現の境を彷徨うがごとき空間で起きたのではない。
 首相公邸という、日本で最も間違いが許されないであろう場所で起きたのだ。
 もちろん警察も念には念を入れて本人確認を行っている。
 死体は間違いなく「右龍立法うりゅうたつのり」本人のものだったのだ。
 では今、僕の目の前にいる男は何者だ?
 銀縁眼鏡をかけ、酷薄な笑みを張り付かせた、インテリヤクザのような男は。
 いや―。
 違う。
 笑いの仮面の裏に隠されている無表情な素顔。
 一瞬、それが透けて見えた。
 右龍立法よりも馴染みのある顔だ。
 そうか、この男は―。
 彼は―。
「右龍さん―右龍司法かずのりさんですよね―そうなんでしょう?」
 時には僕や相以あいを利用しながら、テロリストと戦ってきた公安捜査官。随分懐かしく感じる名前を僕は口にした。
 彼は銀縁眼鏡の奥からジロリと僕を眺めた。
「君は―ああ、確かAI探偵の助手くんだったか。今回は巻き込んですまなかったね。用件が終われば無事ここから帰してあげよう。しかし久しぶりの対面とはいえ、人の名前を間違えるのは感心しないな。私の名前は右龍立法だ。愚弟などと混同しないでくれたまえ」
 そう言って唇を吊り上げてみせた。僕には何だか強がっているように見えた。
 声を聞いて確信した。間違いない。彼は右龍司法だ。
 大体、右龍首相の三つ子のうち生き残っているのは司法しかいないのだ。
 その司法がどうして銀縁眼鏡などをかけて立法の真似をしているのか。
 橘が僕に耳打ちしてきた。