第五章 山荘ディスソリューション【4】
街角ハルシネーション―探偵AIのリアル・ディープラーニング―
更新
前回のあらすじ
左虎さんは今までの経緯をすべて説明しました。「なるほど、大体の構図は見えてきたが、どうも嫌な予感しかしねえ。飛ばすぜ。舌を噛まないように気を付けろよ」車のエンジン音が上がり、左虎さんが短い悲鳴を上げました。

地下の電気は点いていないらしく、階段の奥は闇に包まれていた。
ここしか逃げ道はないのか……?
しかし、玄関の扉は施錠されている。
そしてギシッ、ギシッとゆっくり廊下を歩いてくる司法の足音。
僕は地獄に落ちる思いで、階段を駆け下りるしかなかった。
たちまち全身が暗闇に包まれる。
体感で一階分ほど下りたところで、段がなくなり、床が平らになった。
スマホの光で、壁に電気のスイッチがあることが分かった。
どうする? 押すか? それとも暗闇に紛れるか?
しかし暗闇では、どこに何があるか知っている向こうの方が有利だろう。
一瞬の逡巡の後、僕は電気を点けることにした。
細長い廊下の左側に三つの扉が並んでいた。僕はAI絵を当てるユーチューブ動画の撮影に参加した時のことを思い出した。
いずれの扉が正解か。あの時と違い、ハズレは命に関わる恐れがある。
階段の上から床が軋む音がした。司法が下りてくる。時間がない。ヒントもない。
僕は山勘で中央の扉を開けて、中に入り、扉を閉めた。
鍵! 鍵! 鍵!
手探りでドアノブを調べると、あった、つまみが。僕は神に感謝しながら施錠した。
どっと息が漏れた。
部屋の電気を点けると、扉の隙間から明かりが漏れて、どの部屋に入ったかバレる危険がある――そう考えた僕は、スマホのライトで室内を照らした。
幅広のテレビに重厚なスピーカー、豪華なソファ。よく金持ちが地下に作るオーディオルームのようだった。きっと防音室だ。
「ちょっと」以相が囁くように咎めてきた。「何、地下に下りてるのよ。これじゃ袋の鼠じゃない」
僕も小声で言い返す。
「仕方ないだろ、飛び込んだ先が下り階段だったんだから。鍵のかかる部屋があったんだからラッキーだったと思おう……ぜ……」
僕の目に飛び込んできたのは、左右の壁に一つずつ設置された扉だった。まさかあの扉は隣室に続いているのではないか。そしてこの二つの扉には鍵のつまみが付いていないのだ。
「ヤバい!」
僕は左――つまり階段に近い方の扉に走った。
扉を開けると、そこは本棚が並ぶ書斎と思しき部屋だった。
そして恐れていた通り、この部屋にも廊下へと続くであろう扉があったのだ。
この扉も施錠しないと、ここから司法が入ってきてしまう!
僕は扉に飛び付いて、鍵のつまみを回した。
ガチャン!
という音に心臓が止まりかけた。
司法が廊下側から扉を開けようとしたのだ。
間一髪――まさに間一髪であった。
だが、まだ窮地を脱したわけではない。施錠しなければならない扉はもう一つある。
僕は急いでオーディオルームに戻った。
部屋を横切る時、廊下側の扉がガチャンと鳴った。司法が今度はオーディオルームの扉を開けようとしたのだ。この一瞬のタイムロスが僕を間に合わせた。
僕は右の扉を開けて第三の部屋――雑多なものが保管された物置に入ると、予想通り存在した廊下側の扉を施錠した。
直後、目の前で三度目のガチャン。
もう怯えることはない。間に合ったのだ。
地下室には三つの部屋が存在した。階段に近い方から書斎、オーディオルーム、物置だ。それぞれの部屋に廊下へと続く扉があり、またオーディオルームは両隣の部屋と扉で行き来できる。それ以外の出入り口は存在しない。
このうち、廊下へと続く扉をすべて施錠することに成功したのだ。これでもう司法が入ってくることはできない。
――そう安心していたのも束の間だった。
突然、目の前の扉が衝突音とともに振動し始めたのだ。
体当たりだ。
司法が推理小説よろしく体当たりで密室を破ろうとしているのだ。
「ボサッとしてないでバリケードよ!」
以相が叫んだ。僕は物置の中を見回したが、適切なものが見つからない。
……そのうちに体当たりは止んだ。扉が頑丈で諦めたのだろうか。
苛立つように扉を一発殴る音がしてから、司法の声がした。
「籠城していても事態は進展しないぞ。観念して出てこい。合尾くんに危害を加えるつもりはない」
この言い方――やはり司法には打つ手がないようだ。
ならば、こちらのものだ。「籠城していても事態は進展しない」なんてことは絶対にない。
司法は知らないが、僕たちはすでに相以にSOSを発信しているからだ。当時の位置情報しか送れなかったが、相以なら必ずこの場所を突き止めて助けに来てくれると信じている。それまで籠城を続けるだけだ。
僕が返事をしないでいると、廊下が軋む音がした。司法が階段の方に立ち去っていくようだ。危機が去ったというほどではないが、一安心といったところか……。
だが、以相の声は未だ緊迫感を帯びていた。
「何、一息ついてるの! 扉から離れて、物陰に隠れて!」
「え?」
「奴が何を持ってると思ってるの!」
「まさか――」
その時だった。
銃声がしたのだ。
この部屋の前からではない。もっと右の方だ。
オーディオルームか、書斎か?
僕は恐る恐る扉を開けてオーディオルームを覗いた。だが廊下側の扉や壁に異常は見当たらなかった。
ならば書斎か――と思った時、再び書斎の方から銃声がした。
しまった、猟銃で鍵を破壊して室内に入るつもりか!
何とかして止めないと――だが止めようがない。下手に扉に近付いても、貫通した弾に当たるだけだ。
二発の銃撃で錠前を充分に破壊できたのか、体当たりの音に切り替わった。マズい、このままだと扉が破られる。どうする? とにかくどこかに隠れないと!
――と、音が止んだ。
どうしたのだろう。僕がオーディオルームの中央で訝しんでいると、廊下が軋む音が聞こえた。
司法がこの部屋の前を通り過ぎて、物置の方に向かっている? なぜ? 書斎の扉を破るのを諦めたのか?
理由は分からないが――チャンスじゃないか?
今なら書斎の扉から廊下に飛び出し、階段を駆け上がれるのではないだろうか。一階に戻りさえすれば、どこかの窓から脱出できる。
ここに閉じ籠もっていても、じきに猟銃で扉を破壊されて捕まってしまう。ならば、このチャンスに賭けた方がいい。
僕はそっと扉を開けて書斎を覗いた。思った通り、廊下に続く扉の錠前が破壊され、その穴から廊下の明かりが差し込んでいる。しかし人の気配はない。
行ける。行くべきだ。司法が戻ってくる前に。
僕は決意した。
スマホをパーカーの内ポケットに入れると、穴の空いた扉に忍び寄った。そして素早く扉を開けて廊下に滑り出た。


