第二章 劇団タカハシ ③

ダディ・エイジ

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前回のあらすじ

美央さんの前夫・健志郎さんは7年前に自死した。健志郎さんの両親に、孫である瑛志(エイジ)をお墓参りに連れて行きたいから泊まりに来ないかと誘いを受けた美央さんは、瑛志が祖父母と会うことにためらいも感じているようだった。だが栄司(エイジ)は、新しい夫、そして父として墓参りに行くことに賛成をする。

イラスト 近藤勝也
イラスト 近藤勝也

     3

 ツカちゃんは『ライブライト』の玄関まで出て私たちを迎えてくれた。
 桜ヶ丘での『合宿』初日——八月一日、夕方のことだ。
 瑛志と向き合ったツカちゃんは、膝を曲げて体を屈め、目の高さを合わせて顔をぐっと近づけて、「うっす!」と挨拶した。
 本人は近所のおじさんのように気さくにふるまったつもりでも、羽織っているスカジャンは、背中で不動明王が目を剥き、両袖には稲妻が走る――私と再会したときと同じように、困った方向に張り切っているのだ。
「よし、じゃあ入ってくれ」
 ツカちゃんは先に立ってジムに入った。後に続く瑛志と私は、不動明王ににらまれながら歩かなくてはならない。
 瑛志に小声で訊かれた。
「……ヤクザ?」
 私も声をひそめて、「いや、そこまでじゃない」と答えた。
「じゃあ……ヤンキー?」
「それは、ちょっと、ある」
 美央さんが一緒にいなくてよかった。
 もともと美央さんは瑛志が『ライブライト』に通うことを喜んでいなかった。格闘技系のスポーツジムというところに抵抗がある。「強くなるとか弱いままじゃだめだとか、そういう価値観が嫌いだから」と言って、ジム通いを認めたあとも、「パンチやキックの練習はなるべく断ってよ」と釘を刺していた。
 一方ツカちゃんは、瑛志の入会希望を大歓迎してくれた。
『ライブライト』の入会資格は、いまは中学生以上だが、来年からは小学生にも広げようと考えている。
〈中学生向けのプログラムを調整するので、モニターになってくれる五年生か六年生の子を探していたところでした。ぜひ、来てください!〉
 ツカちゃんのメールを読んだ美央さんは「モニターって実験台と同じでしょ? だいじょうぶなの?」と不安そうに言った。
「それに、塚本さんって……だいじょうぶなの?」
 メールは、こんな言葉で締めくくられていた。〈最高のタイミング、まさに飛んで火に入る夏の虫です!〉――「渡りに船」の意味で使いたかったのか、ただのボケなのか。
「国語、苦手なひと? それとも、すぐにふざけるひと?」
「……両方」
 うるせえバカ野郎、とツカちゃんが頭の中で怒っていた。

 ジムでは、若い連中が二十人近くトレーニングに励んでいた。熱気と汗でむわっとするほど蒸し暑い。練習が佳境に入った人の背中からは、湯気までたちのぼっている。パンチやキックの音が絶え間なく響く。ツカちゃんが言っていたとおり、夕方の部は本格的で、ハジメくんたちトレーナーの声も大きい。
 その迫力に気おされた瑛志は、フロアに足を踏み入れるなり、私に体を寄せてきた。初めてのジム見学としては、ちょっと刺激が強すぎたかもしれない。
 事務室に入って、エアコンの効いた涼しさにひと息ついた。
「ジムにもエアコンはあるんだけど、夏場の夕方は全然効かなくて」
「だろうな」
「安心しろ。午前中は全然ユルいから」
 瑛志は朝の部――お年寄りや地元の主婦の皆さんがメインの時間帯に、ジムに通うことになっている。
 朝の部にはインストラクターがつくので、ハジメくんは瑛志をマンツーマンで指導しながら小学生向けのプログラムを調整していく、という。
「あとでハジメと顔合わせだ。手が空いたらこっちに来るように言ってあるから。顔合わせがすんだら、体重とか身長とか、腕や脚の太さとか、心肺機能とか、汗をかかなくてもいいデータを取らせてくれ」
 今日は、そこまで――。
「明日も二人で来るんだろ?」
「ああ……最初のうちは、俺かカミさんが付き合う。慣れてきたら、一人でバスで通いたいって言ってるけど」
 瑛志はそれも楽しみにしている。桜ヶ丘で過ごす二週間は、冒険の日々なのだ。
「じゃあ明日は二人ともシューズと着替えを持ってきてくれ。跳んだり走ったりするから、けっこうキツいぞ」
 ツカちゃんは、デスクの抽斗から体力測定の記録カードを二枚取り出した。立ち幅跳びや立ち三段跳び、五メートル往復ダッシュに二十メートルのシャトルラン、反復横跳び、垂直跳び、腕立て伏せ……といった項目ごとに、数値を書き込む欄が設けられている。定期的に記録して、トレーニングの効果を確かめるのだ。
「ハジメはスマホで管理したいって言うんだけど、俺はやっぱり紙のほうが馴染みがあるからな」
いかにもツカちゃんらしい、「昭和」生まれの意地のようなものだろうか。
「エイジもそうだろ?」
 自分に振られたのだと勘違いして応えかけた瑛志は、あわてて口をつぐみ、少し決まり悪そうな顔になった。かわいそうなことをした。こっちがすぐに応えていればよかったのだ。
 私は「まあな」と形だけ返して、ツカちゃんに目配せした。頼むよ、そういうところ気をつかってくれ、と伝えたつもりだが、ツカちゃんは察してくれなかったようで、さっさと話を先に進めた。
「よし、じゃあ二人とも、氏名のところに名前を書いてくれ」
 カードとペンを渡され、ソファーに並んで座った。
 私はペンを持ったまま、瑛志の手元を横から盗み見た。どきどきしていた。怖かった。〈高〉の最初の線を書く前に〈中〉の最初の線を書きそうにならないか、〈高橋〉を書くときに文字の一画ずつを確かめるようにしていないか、書き上がった〈高橋〉が〈瑛志〉に比べてぎごちなくないか……。
〈高橋瑛志〉
 変わったところはなにもなかった、と思う。ほっとして自分の名前を書くと、不安の名残があったせいで、ふだんよりずっとへたな〈高橋〉になってしまった。
 瑛志のカードを受け取ったツカちゃんは「おっ、意外ときれいな字なんだな」と言って、私のカードを手に取り、二枚を見比べて続けた。
「やっぱり、二人の字、よく似てるな」
 やっぱり――は、ありえない。私たちに血のつながりがないことを忘れているのか?
 ひやっとして、瑛志を見てしまった。そのことに、またひやっとする。瑛志は内窓からジムの様子を眺めていた。もしも目が合ったら、私はどんな顔をしただろう。
「ま、どっちも同じ『高橋』を書いたんだから、似てるのあたりまえか。似てないほうが問題だよな」
 わははっ、と笑ったツカちゃんは、カードをデスクに置き、瑛志の正面に座った。
「呼び方を決めるぞ。俺のことは『会長さん』と呼んでくれればいい。で、こっちからの呼び方なんだけど……」
 私をちらりと見て、すぐに瑛志に目を戻して続ける。
「二人はどっちもタカハシ・エイジで、このままだと区別つかないだろ。だから呼び方を変える。いいな?」
 瑛志は「はい」と応え、私は黙ってうなずいた。
「親父のほうはガキの頃から『エイジ』だったから、いまさら変えるのもアレだし、『エイジ』のままでいかせてもらって、息子のほうをちょっと変えさせてくれ」
 今度は瑛志が黙ってうなずき、私が「わかった」と言った。もちろん、どんな呼び方でも受け容れるというわけではない。瑛志がほんのわずかでも嫌がるそぶりを見せたら、なにがあっても断るつもりだった。
「最初は『ジュニア』か『ミニ』でいこうかと思ってたんだけど、名前がちっちゃいと、人間まで縮みそうだから、やめた」
 瑛志が一瞬ほっとした気配が伝わった。よかった。私も、そう思う。「ジュニア」はともかく「ミニ」はないだろう、さすがに。
「それ以外でどんな呼び方がいいか、ずーっと考えてて、やっと見つけたんだ」
 ツカちゃんは「いくぞ、言うぞ、感動するぞ……」と、こっちが焦れるぐらい、たっぷり間を置いて、言った。