第二章 似ているようで【1】

君といた日の続き

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前回のあらすじ

娘を亡くし、妻とも離婚した48歳の譲は、ある夏の日、道端で記憶を失くしたずぶ濡れの女の子と出会う。しかも彼女はタイムトリップをしたみたいで…。

イラスト かない
イラスト かない

 ──美玖みく、と呼びかけそうになる。
 その名前をうっかり声に出さずに済んだのは、ゆずるが口を開きかけると同時に、ちぃ子がこちらをぱっと振り返ったからだった。
 前髪とマスクに挟まれたつぶらな両目をらんらんと輝かせながら、液晶画面を突き破らんばかりの勢いで、目の前のテレビに人差し指の先を向ける。
「ねえねえ、これ、テレビでしょ?」
…そうだよ」
「うっすいっ! 大きいっ! どこに機械が入ってるんだろう?」
 テレビ台の端に手をつき、興味津々の様子で裏側を覗き込んでいる。六畳の部屋に、四十インチの画面。やや圧迫感があると言えなくもないが、さすがに驚かれるほどではないはずだ。去年の秋まで暮らしていたマイホームのリビングには、五十五インチのテレビを置いていた。
 リモコンを手に取って電源をつけてやると、ちぃ子は「色が綺麗…」と呆然としながら、ワイドショーのコメンテーターが新型コロナウイルスの感染状況について語る様子を見つめていた。──色が綺麗。そうだろうか。このアパートに引っ越してきたときに、サイズもろくに測らずにネットで購入した安物なのだが。値段は確か、破格のニーキュッパ。
 テレビの前に立ち尽くすちぃ子の横顔を眺めながら、譲は密かに自嘲した。
なぜ、さっき、彼女に向かって、娘の名前を呼びかけようとしたのだろう。
 共通点は、十歳の女の子──それだけだ。美玖は譲に似て色白で、髪は肩より短く、性格は大人しいほうだった。一方のちぃ子は、よく日に焼けた小麦色の肌をしていて、髪は両サイドでおさげにできるほどの長さで、見るからに活発で好奇心旺盛。「タイムスリップ」によりパニックに陥っていたとはいえ、譲に直訴して家に上がり込んできたことからしても、小学生にしてはなかなか押しが強そうだ。
 ちぃ子と美玖は、全然違う。
 それなのに、つい、目の前の少女の中に、ちょうど一年前にこの世を去った娘の幻影を見てしまう。
 ちぃ子に着せた、淡い水色のワンピースのせいだろうか。ディズニーランドのシンデレラ城の前でピースサインをしていた、美玖のふんわりとした笑顔を思い出す。
 ──ねえパパ、この服、シンデレラのドレスと同じ色だね。
「あれ、この部屋、時計は?」
 ちぃ子がキョロキョロと辺りを見回した。ああそういえば、と譲は苦笑し、ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出す。
「不便でごめん。いつもスマホで確認してるからさ。今は昼の二時過ぎだよ」
…すまほ?」
「これのこと。スマートフォン」
「すまーと…?」
「ええと、携帯の進化版だね」
…けーたい?」
 テレビ画面に片手をついているちぃ子が、狐につままれたような顔で、こちらを見返してくる。
 なるほど、と思わず唸った。携帯電話さえ通じないときた。肩から下げるショルダーフォンが発売されたのがバブル期だから、彼女はそれより前の時代から来たのだろうか。──タイムスリップという現象を素直に信じるとすれば、だが。
 いったい彼女は、西暦何年からやってきたのか。
 心の中を覆い尽くしていた感傷を振り払い、改めてちぃ子と向き合ってみることにする。
「じゃあ…そうだな、ポケベルは分かる?」
 試しに訊いてみると、首を傾げられてしまった。まあ、それはそうだろう。ポケベル自体は携帯電話以前から存在したはずだが、ビジネスマン以外にも普及し、女子高生などの間でブームが起きたのはバブル崩壊後──九〇年代に入ってからだ。携帯電話が何だか分からないのなら、同様にポケベルという言葉も知らないのは当然のことだった。
 都内の大学に通っていた頃、制服姿の女子高生たちが公衆電話に列をなしているのをあちこちで見かけたことを思い出しながら、うーん、と再び口を開く。
「なら、電話は?」
「電話? それは分かるよ! あったりまえじゃん!」
 クーラーもテレビも当たり前のように知っている少女に対して、この質問は無意味だったか。
「ちぃ子ちゃんにとって、電話というのは、家に置いてあるもの? それとも、お店とか、基本的に外で借りるもの?」
「え、外で使うのは公衆電話でしょ? 電話はちゃんとおうちにあるよ」
 比較的現代に近い、と直感する。古き良き昭和の半ば、例えばまだカラーテレビが発売されて間もなかった前回の東京オリンピック前後だとか、そういうことはなさそうだ。
「テレホンカードって何だか分かる?」
「あ、聞いたことあるかも…えっと、公衆電話に入れるんだっけ?」
「家の電話は、ファックスも送れたりする?」
「ふぁっ…?」
 またちぃ子の目が点になった。はてさて、家庭用の固定電話にファックス機能がついたのはいつ頃だっただろうか。譲が大学に合格して一人暮らしを始めた頃には、もう電器店で売られていた覚えがある。こうして質問を繰り返していけば、彼女が生きる年代をピンポイントで絞り込めるような気がしなくもない。