第三回 ①
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前回のあらすじ
真下蘭、27歳。夫の一周忌の後、義父母の勧めもあって、今後のことを話し合うため、息子の優と実家に戻ってきた。両親と姉の鈴ちゃんと娘のやよいちゃん、従兄の陸もわざわざ来てくれた。両親を事故で亡くしてからずっと一緒に住んでいる陸は、義兄弟も住む真下家とは、一度きちんとさよならした方が、お互いのためなんじゃないのかなって言うんだ。

真下翔 三十歳 事務機メーカー営業
ダイヤモンドは実はものすごく簡単に割れる、という話を何かで読んだのを思い出したな。
自分が離婚というものに直面して。
ダイヤモンドは世界一硬いから結婚の証として指輪にする。けれどもそのダイヤモンドを証にした俺の結婚は、本当に簡単に割れて崩れて消えて、壊れてしまった。
俺のせいじゃない。
妻が浮気したんだ。
別れるって言い出したのも向こうだ。
浮気をしたのは俺が良くない夫だからだって?
なんだそれは、って。
結婚生活がつまらなかった? 毎日きちんと会社に行って仕事して、休みの日には二人で買い物したり映画を観に行ったり評判のお店で美味しいご飯を食べたり。楽しいと思えることを一緒にしてきた。
俺は、何にも悪いことなんかしていない。別にDV夫でもない。給料だってそんなに悪くはないのに。どうしてだか最終的には俺のせいみたいになってしまって、甲斐性なしみたいな話になって。
俺は総菜屋の家に生まれた長男だけど、継がなかったのは単純に毎日総菜を作るという人生は嫌だなって思ってしまっていたからなんだ。総菜屋で生まれ育ったのに、そういうふうに感じてしまっていた。そんな気持ちで店を継ぐのは、親にも家族にも何よりもお客様に失礼だ。
その通りだよな? 何もおかしなことじゃない。至極真っ当でむしろ真摯な考え方だろう。
だから、家業は継がずに一般企業に就職した。ひたすら真面目に仕事に向き合ってきた。自分の人生の場所はここにあるんだって思って。妻にだって結婚前にそういう話はきちんとして納得していたはずだ。
それなのに、結局家業を継がなかったのも資質のない総領の甚六だったんだろう、だから浮気したのも俺に責任があったんだ、なんてことまで向こうの親に言われちまって。冗談じゃねぇよ、って話だ。それはもうただのいちゃもんだろう。
ヒビが入って崩れかけてた結婚という名のダイヤモンドを床に叩きつけた。
わかりました、じゃあお望み通り離婚します、判子捺しますよって。
そう決めた瞬間に、消えたんだ。
妻を愛していた、っていう何かが、頭の中から身体の中から消えた。
消えたのか抜けたのか融けていって消化されてどっかから出ていったのか、わかんないけど。
可愛くて愛しくてずっと抱きしめていたいって思っていた眼の前の女性が、唐突に消えちまっていた。
そこに立っていたのは、ただの女。関係を持った女性。それだけでしか、なくなっていた。
人間の気持ちなんて、そんなものなんだな。
三十歳にして、何かを悟ったような気持ちになった。あぁこれが小悟ってもんかなって。前に何かで教えてもらったんだ仏教の悟りというものを。確か、大悟と小悟があるんだ。違うかもだけど。