第四回 ①
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前回のあらすじ
阿賀野鈴、40歳、出版社文芸編集部勤務の編集者。編集長の越場さんにランチに誘われた。私の妹で、夫を亡くしてからも婚家で義兄弟と生活する蘭を気にしてくれている越場さんは、昔からの知り合いで上司で離婚経験者。そんな越場さんのことを時々考えてしまうようになった。私の中に生まれたこの感情に、名前はあるのかな。

真下響 二十四歳 〈デリカテッセンMASHITA〉
身体からお料理の匂いがしている。
最初にそういうふうに言われたのは小学校の六年生のとき。
もっと前にも言われたことがあったような気がするけれど、はっきりと覚えているのはそのときだ。
同じクラスの川原さん。川原芽吹さん。めぶきちゃん、って皆に呼ばれていて珍しい名前だったのも覚えている理由のひとつかもしれない。
好きだったんだ。
たぶん、初恋だった。
クラス委員か何かで一緒に二人で作業をしているときだ。
川原さんの家は自転車屋さんで店にはたくさん自転車が並んでいて、修理もしているから機械油のような匂いが服についちゃうんだって。そういう話を川原さんがしていて、言われたんだ。「真下くんからはいつもお料理の匂いがするよ」って。
全然、嫌じゃなかった。
うちは毎日たくさんのお総菜を作っていて、いつでも店に並んでいて、自分の服にも匂いがついてしまっているのは当然のことだから。
誇り、とまで難しくは考えていなかっただろうけど、間違いなく自慢に思っていた。いい匂いでしょ? 美味しそうでしょう。美味しいんだようちの総菜はって。
クラスメイトのお母さんたちがたくさんうちに買い物に来ていたし、うちのコロッケがいちばん旨いんだっていつも言ってくれる友達が何人もいた。そういうのは、すごく嬉しかった。
だから、家の仕事を手伝うのはあたりまえだと思っていたし、何よりも好きだったんだ。ずっと。授業か何かで自分の夢とか将来の自分なんていうのを考えるときには、素直に自分の家の手伝いをしますって何も躊躇わずに書いていた。
翔兄は、うちの仕事は継がない、と、かなり早い頃から僕たちに、晶兄と僕に言っていた。お前たちに任せるとは言わなかったけれど、晶兄が中学生ぐらいの頃から店は自分がやるって言っていたんだ。それなら晶兄と僕の二人でやっていけばいいのかなって思っていた。
晶兄は高校卒業したら料理と経営の専門学校に進学した。家業を継ぐための修業の場としてだ。父さんも母さんも料理や経営を専門で学んだことはないから、そういうのが絶対必要だからと自分で考えて決めた。
だから、僕は大学に行った。店を一緒にやるとしても、お前はもっと幅広く視野を持てるような勉強をしろって翔兄も晶兄も言ったからだ。
それはきっと間違いなく将来の店のためになる。仮に、僕が店の経営に携わらなかったとしても、お前のためになるからって。
晶兄が、蘭さんをうちに連れてきたのは、専門学校を卒業して店の仕事を本格的に始めてすぐの頃だ。
まだ蘭さんが大学四年生のとき。
晶兄が通っていた専門学校でやっていた料理教室で、助手と生徒として出会って、お互いに一目惚れだったって。うちに連れてきたそのときにはもう結婚するって二人の間では決めていた。
早かった。


