第四回 ③

ムーンリバー

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前回のあらすじ

真下響、24歳。実家で両親と〈デリカテッセンMASHITA〉を切り盛りしている。次兄の晶が事故死してからも妻の蘭さんはこの家で暮らしている。僕はこのまま蘭さんと家族として一緒にいてもいいと思っているんだけど、長兄の翔は実家に帰すべきだと言う。蘭さんのために、真下家との繫がりをすべて断つべきだと。それが晶兄のためにもなるからって。

イラスト 寺田マユミ
イラスト 寺田マユミ

真下蘭ましたらん 二十七歳 〈デリカテッセンMASHITA〉

 いつも仕事をしている家庭に生まれ育ったんだな、というのを、真下家にお嫁に来てから実感した。
 会社勤めのお父さんに専業主婦のお母さん、という家庭に育っていないから本当の意味で比較はできていないんだろうけど、自分の家で商売をやっている人たちは常に仕事をしている。
 阿賀野あがの家もそうだった。
 お父さんとお母さんの仕事場が家の中にあって、いつも二人はそこで仕事をしていた。もちろん、私たちのために家事をする両親も確かにいたんだけれども、それ以外の時間は常に仕事をしていた。
 家で一緒にテレビを観たり何かで遊んだりしていても、頭の中では常に仕事のことを考えていた。それを、子供心にも感じていた。今、お父さんは忙しいんだ。今、お母さんは何か別のことを考えているんだ。
 そういうふうに。
 真下家も、やっぱりそうだった。
 お店を閉店させて後片づけをして二階の自宅に戻ってきても、お義父さんお義母さん、そして晶くんは大体いつも、明日の仕事のことを考えていた。意識するしないにかかわらず。
 明日はあれをまず仕込まなきゃならない、あれを注文しないともう在庫がない、あれが売れ残るようになったのは味付けのせいかもしれないから、少し調味料の配合を変えてみようか。
 そういうことを考えているのが、手に取るようにわかった。阿賀野家と同じだったから。
 仕事のことをほんの一瞬でも忘れるのは、たとえば皆でご飯を食べながら何かの話題で大笑いしたり、あるいは優と真剣に遊んでいるときぐらいで、その他の時間は頭の中では常に仕事のことを考えているんだ。意識しないでもそれが呼吸するかのようにあたりまえになってしまっているし、そういう人たちだから、自分たちで商売ができるんだと思う。
 私は、お嫁さんとして売り子さんや、総菜の仕込みのお手伝いもしたけれども、真下家の家族のための仕事がメインだった。
 食事の準備と後片づけをしたり、皆の洗濯を毎日したり、それぞれの居住スペースに掃除機をかけたり。お店の商売のものではなく、あくまでも家族のために必要なものを買いに行ったり。その辺りは税金の関係で厳密に別にしておかないとならないから私に任されていた。
 私が来る前はお義母さんが全部仕事の傍らにしていた、家庭の主婦の仕事を私は自ら引き受けた。
 家族がここで気持ちよく生活していくために必要なことだけを考えて、暮らしていた。
 それが、良かった。それで、良かった。
 家族の皆は自分たちが生きていくための〈仕事〉をして暮らしていく。私の〈仕事〉は愛する人とその家族がきちんと仕事をするための〈場所〉を守っていくこと。
 そういう自分に、自分では、何も不満はなかった。あきらくんと結婚して真下家に入るということは、そういうお嫁さんになることだと最初からわかっていたから。そしてそれを選んだのだから。
 すずちゃんのように自分がやりたい〈仕事〉というものを、自分が生きていくための何かを見つけていない。
 もちろん学生の頃に自分が将来何をやるか、というのは考えてはいたけど。だから大学は教育学部に行った。先生というものに興味があったからだ。子供たちに何かを教えていく仕事。
 でも、その思いは自分の子供を育てていくことできっと昇華されていくような気がしていた。
 真下家のお嫁さんとして、ずっと生きていけるって思っていた。