第七回 ③
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前回のあらすじ
阿賀野蘭 27歳 無職。夫の晶くんが事故死してからも、〈デリカテッセンMASHITA〉を手伝いながら婚家で暮らして1年。ようやく気持ちが固まり、息子の優と一緒に実家に帰ってきた。よし、ここからだ。ここからまた始まる。新しい道を歩き出すことは誰でもできるんだから。
「空いた段ボールとか、もうない? 物置きにしまっちゃうもの」
開けっ放しの部屋のドアのところに陸が顔出して、言う。
「ないよ」
「ありがとね」
もう片づけるものは何もない。後は私の服ぐらい。
「力仕事ももうないでしょ? 優がさ、ボクの部屋に行きたいっていうから連れてくけどいいよね」
「陸の?」
「見たいんだってさ。まだ行ったことなかったから」
行ったことなかったっけ。そうか、なかったね。
「ついでにこの辺をぶらぶら散歩してくる。優も自分の眼で見ておいた方がいいでしょ? 幼稚園まで行く道とかいろいろ」
「あぁ、うん」
幼稚園はお迎えのバスが来るけれども。何も知らないよりは歩いておいた方がいいことはいいか。
「もうこの町の住人になるんだしね。ボクの部屋までの道も覚えておいた方がいいだろうし」
「そう、だね」
「やよいちゃんも一緒に行くって。晩ご飯までまだ時間あるし、適当に遊んで帰ってくるから」
「ありがと。よろしくね」
さっそくだね。やよいちゃんと陸がいれば、私がいなくたって優は平気だ。以前からここに来るとそういう感じだったけれど。
遠くで、三人の声。玄関を出て行く音。
聞き慣れた、懐しさも感じさせる、この家に響く音。
家の中に響く音って、実際にこうやって一旦家を出てから戻ってこないと意識しない。真下家に響く音と、実家に響く音は確実に違う。
家の匂いと同じように。
「鈴ちゃん、今日の晩ご飯は?」
「カレーを作るってお母さん言ってたよ。引っ越しで疲れるだろうからささっとやっちゃうって」
「了解」
真下家のお総菜を食べられない、そしてしばらくは無職でほとんど家にいるであろう私も、お母さんやお父さんと一緒に毎日の料理を作る日々が、また始まるんだ。ここで。
「当面はのんびりするんでしょ? うちで家事をしながらになるんだろうけど」
「うん」
急いでやることはないだろうけど。
「でも、やらなきゃならないことは、ある」
「何を?」
「就職活動」