第七回 ④
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前回のあらすじ
阿賀野蘭 27歳 無職。夫の晶くんが事故死して1年。ようやく気持ちが固まり、息子の優と一緒に実家に帰ってきた。そして引っ越しの手伝いをしてくれた姉の鈴ちゃんにようやく訊けた。越場さんと、鈴ちゃん。そして2人の子供も一緒に4人で、しかも越場さんの家に行ってご飯を食べたってって、どういうこと? って。
阿賀野鈴 四十歳 文芸編集部 編集
幸せ、という思い。
それで心も身体も満たされている、と感じること。
これが幸せというものなんだ、と、一度でも感じたことがある、そう認識したことがある人は、どれぐらいいるんだろうか。
そんな恥ずかしい話を誰かと、どんなに親しい人でも話し合ったことなんかないからわからないけれど。
今、自分を満たしているものが、幸せという感情なんだ、って思えたことはあった。
そして、越場さんの家で、長い間忘れていたそれを思い出した。
思い出した瞬間に、溜息が出そうになって慌てて思い出したものを打ち消そうとした。私は、以前に一度、これが幸せに満たされるというものなんだ、と感情に名付けてしまったことがある。
前の夫とのこと。
初めて身体を合わせたときじゃない。
プロポーズされたときでもない。
結婚式でもないし、やよいが生まれたときでもない。
もちろんそれらのときには最大限に嬉しかったのだけれども、幸せという思いに心も身体も満たされていると感じたのは、初めて朝ご飯を一緒に食べたとき。
コーヒーを飲んで、ふと部屋が朝の光に満ちていると感じた、そのときだ。
ゆっくりと、でもあっという間に、何かが心も身体も満たしていった。
あぁ、これが幸せなんだ、と思った。
思えた。
目の前でパンを食べている夫を見つめて微笑んでしまった。
きっとあのときの私の笑顔は菩薩のようだったに違いない。眼の前にいた夫はそれを見ていたわけじゃないけれど。ひたすら朝ご飯を食べていたけれども。
再び幸せという思いに心も身体も満たされた瞬間に、人生最悪の思い出までも甦ってしまうとはなんてことだろうって悲しくなったけれども。
でも、誰にも気づかれないように軽く頭を振ってそれを打ち消した。
そうだった、あれが人生で初めて感じた〈幸せで満たされる〉という思いだった。忘れていたけれども。
もう一度、自分を満たしたものを取り戻そうとした。
越場さんがいて、やよいがいて、士郎くんと茉美さんがいて、美味しいご飯と賑やかな会話が漂う中にいて。
幸せだ。
私は、こんなにもこの人と一緒に過ごせることを幸せだと感じるんだ。
この思いを、また嫌な記憶と一緒にはしたくない。
ずっとこのまま幸せの記憶として上書きしたい、上に塗り直したい。前の記憶が消えてしまうぐらいに厚く。
そう思った。
思ってしまった。