第八回 ④
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前回のあらすじ
阿賀野陸、35歳 グラフィック・デザイナー。文芸誌編集長の越場さんに、僕の従姉で彼の部下の鈴と互いの子供も含めて食事会をしたのは、再婚を考えているからなのか確かめてみた。シングルマザーの鈴を心配しただけだと彼は答えたけど、真意は違うんじゃないかな。鈴も、越場さんが病気になるまでは、自分の心にある越場さんへの想いに気付いていなかったみたいだから。越場さんも……。

「え、何の話だ?」
「越場さんへの、自分の思い」
少し眼を細めて、煙草の箱を取り出して一本引き出し、火を点ける。紫煙が立ち上る。
「俺への、思い?」
「いや、ボクもこの間鈴から話を聞いて初めてそういうものになっていたのか、と認識させてもらったんですけどね。越場さんは気づいていたんじゃないですか? その前からずっと」
鈴の思いに。
あるいは、自分の気持ちにも。
越場さんは、溜息をつくように煙を吐き出す。
「気づいていた、か」
独り言つように、言う。
「同じようなニュアンスで、息子に言われたんだ。一緒にご飯を食べるんだがどうだって訊いたときに」
「何てですか」
「阿賀野さんは、大事な人なの? ってな」
息子さん、なかなかですね。ちゃんと理解して、そういう言葉で訊けるのはちゃんとした男に育ってる証しかな。
「そういう思いが、あるんですよね? あったんですよね、越場さんの中に」
少し間があって、唇をちょっとだけ歪めるように、こくり、と頷いた。逡巡、とか、躊躇いとか。そんなような感情が乗っかったような動きと表情。
「なかったら食事になんか誘わないよな、ということに、恥ずかしながら自分でも後から気づいた。そうか、俺はそういう感情を鈴ちゃんに持っていたのか、いやそうなんだろうなってね」
小さな頃から知ってるから余計に気づかなかったというか、考えようとしていなかったんじゃないだろうか。
そう言うと、あぁ、って苦笑いする。
「それも、思ったな。何せ彼女が小学生の可愛い女の子の頃から知ってるんだ。それこそその〈可愛い女の子〉というフィルターでずっと蓋をされてわからなくなっていたのかなってさ」
なんとなく、わかる。
越場さんの奥底には〈可愛い子供の鈴〉がずっといるんだ。〈阿賀野達郎の娘〉というのも一緒に。
そして同じ編集者になって一緒に仕事して、〈可愛い後輩〉や〈可愛い部下〉というフィルターが二重三重に掛かっていく。
だから、鈴を一人の女性としてみている感情に気付けなくなっていった。
お互いの家族皆で一緒に食事をする、という、一般的には互いに再婚に向けてフラグを立てたとしか思えないイベントも、ただ部下を大切に心配しているからなんだというシールを貼り付けたみたいに過ごしてしまった。
そんなようなところなのかなって、思っていた。
そして、まだ何も進行していないのも。