第十回 ①

ムーンリバー

更新

前回のあらすじ

越場勝士 52歳 文芸編集部編集長。部下の阿賀野鈴さんに、妹の蘭ちゃんが戻ってきてからお惣菜の日があると聞き、そういう日常はいいなと、しみじみ思った。そして自然と鈴ちゃんに「俺は、君とやよいちゃんと、家族になりたいと思っているようだ」と言葉にしていた。

イラスト 寺田マユミ
イラスト 寺田マユミ

 阿賀野蘭あがのらん 二十八歳 アルバイト

 いつものことだけど、お総菜もこれだけ量があると持って帰ってくるのもちょっと大変。肩が疲れちゃう。とにかく台所に全部持っていって、まだ時間はあるからそのまま置いておく。炊飯器にお米をセットして、うちはご飯の時間の三十分前にスイッチを入れる早炊き。
 お母さんはその方が美味しく炊き上がると自信を持って言う。
「うん」
 あとは、ご飯の時間、七時ぐらいになるのを待つだけ。それまで居間で、スーパーの特売チラシを眺めたりする。今のところ、この家では主婦的役割をしているから、お安いものを探して買い物に行くのは私の仕事。まぁ大体どこのお店に行くかは決まっているんだけど。
 お総菜の日。
 そう言ったのはやよいちゃんだった。私が真下ましたの家を出てから初めて向こうに顔を出して、お総菜をたくさん買って帰ってきた日に、「じゃあ、今日から〈お総菜の日〉がずっとあるんだね」って。
 巧いこと言うね、って。シンプルで説得力のあるコピーみたいだってお父さんが感心していた。確かに、それで〈デリカテッセンMASHITA〉のポスターでも作れそうなコピーみたい。
 やよいちゃんは、お母さん譲りの文才があるのかもしれない。すずちゃんと同じで読書好きだし、言葉に対する感覚が幼い頃から身に付いているのかも。
 読書好きなのは、りくも私も一緒だ。やっぱり家庭環境は影響するみたいで、物心ついたときからたくさんの本に囲まれた暮らしをしていると、自然と手に取るし、自然と読み進める。
 でも、陸も私もどちらかと言えば理系の人間だから文章云々に関しては、まぁ普通なんだけれども。
 ゆうは、まだわからない。絵本は喜んで手に取って読んでいるし、寝るときの読み聞かせを楽しんでいるけれども、それは子供なら普通のこと。
 何にしても、将来の可能性は拡げてあげなきゃならない。パソコンに興味を持ったりタブレットで動画を見たりゲームをしたり、デジタルネイティブな部分は間違いなく自然に身に付けているけれども、その他のものにもたくさん触れる機会は作ってあげなきゃならない。
 そういう点で、この家に住んでいるのは、いいなって思っている。様々なジャンルに精通したお祖父ちゃんお祖母ちゃんはいるし、スポーツ大好きお兄ちゃんの陸もいる。お姉さんとしてやよいちゃんがいるし、もっと大きなお姉さんのはなちゃんも仕事の合間に接してくれる。
 多くの年代の人と一緒に暮らすというのは情操教育にもいい。そういうデータだってある。
 就職したらここを出て独立する、というのは真下家を出るときに決めたひとつの目標だったんだけれど、不自由がないのならずっとここで暮らしてもいいのかもしれない。優のことを考えるのなら、デメリットはたぶんほとんどない。メリットしかないような気がする。
 家にいる間に家事をやるのは苦ではないし、鈴ちゃんの出版社でのバイトもそれほどキツクもない。生活費は家に入れなくていい、あきらくんが遺してくれたものは、全部優の将来の教育資金として使うようにしなさいと、お父さんも言ってくれたからありがたく取ってある。
 仕事の邪魔にならないときには、ワークスペースでパソコンをいじらせてもらっている。教職に就いたときのため、いろんなソフトの使い方やネット上の様々なトラブルへの対処法とかも知っておいて損はないし、音楽や映像や美術なんかを趣味としたっていろんなことに使えるから。
 今のところ、優とのここでの暮らしには何の心配もないんだ。