第四回 心理的瑕疵物件
更新
前回のあらすじ
「助けてっ」喉から悲鳴が漏れた。助けて。助けて。助けて。助けて。そして、救い主は現れた。祖母が、同じように枕元に立っていた。祖母は、困ったような顔をして私を見ている。

母からのLINEは、いつも決まった時間帯に届く。
夜の十時前後。私が一人で部屋にいるとき。いや――私が、一人で部屋にいないときなんて、もうないけれど。
――白いもの中心にね。塩も忘れずに
――丸くなるのは悪いことじゃないって、絵画教室の人が言ってたよ
――前髪は軽くしたほうが気の巡りがよくなるって
――無理しないで
私はスマホを見つめたまま、何も返さない。
絵画教室の人。どうやら、そういう、スピリチュアル系のことに詳しい人。
それが誰なのか、母は一度も具体的に言わない。ただ、その人から聞いた正しそうな言葉を、そのまま私に流してくるだけだ。
「うるさい」
誰もいない空間に向かって、呟く。
「うるさい」
「うるさい」
「死ね」
自分で求められない暴言が、インターフォンで中断される。
こんな時間に、と思いながら、私はドアスコープを覗く。
黒い服の女が立っていた。三十代か四十代か分からない、けれど、間違いなく私より年上。化粧気の薄い顔。落ち着いた表情。どこかで会ったような気はするけれど、知り合いに一人はいそうな顔なので、定かではない。
「すみません」
女の声は、見た目通り、落ち着いていた。
もしかして――と思う。
もしかして、母が、呼んでくれたのかもしれない。たびたび話題に出す、『絵画教室の人』を。
ドアを開ける。
「あ……突然、すみません」
女は、丁寧に頭を下げる。
「少しだけ、お話を」
「母が呼んだんですか?」
私が言うと、女はわずかに首を傾げた。目を落ち着きなく動かして、その後伏せる。
「いいえ、息が詰まりそうで、見ていられなかっただけです。……お時間は取らせません」
私は「どうぞ」と部屋に上げようとした。
「いえ、ここで結構です」
しかし、女は、玄関から一歩も入らない。
「でも、立ち話は……」
「夢を見ていますね」
唐突に言われて、心臓が跳ねる。
「……何のことですか」
「年配の女性が、枕元に立っている。そんな様子が、見えます」
息が止まる。
女は、私の答えを待たない。なおも続ける。
「そして、何かを命令……いえ、そこまで強くはない。でも、『しなさい』と言う」
女は、私の反応を確かめるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「この部屋で、亡くなった女性のことをご存じですか」
「はい……?」
「沢口花子さん」
必死に頭を働かせても、思い当たる人はいない。
「誰ですか、それ」
「報道は大きくありませんでしたが、監禁と暴行の末に亡くなった方です。絵画教室に通っていた。友人や、家族、絵画教室の知り合い——誰も、沢口花子さんを助けられませんでした。花子さんは、この部屋に、長期間住まわされていました」
頭が真っ白になる。
「え……なにそれ? 事故物件ってこと?」
「いえ、それは」
「そんな、事故物件だなんて……告知受けてないです、そんなの」
「事故物件……心理的瑕疵物件の告知には、明確な法的拘束力のある義務がないそうですよ……」
女は、すまなそうな顔をしながら、聞きたくもないようなことを伝えて来る。
「供養になると、思い込まされているかもしれないけれど、あなたがさせられているのは――」
女はきっぱりと言う。
「沢口花子さんの追体験です」
「違うっ」
私は思わず怒鳴った。
「私は自分でやってる! 誰にも強制されてない!」
「だからこそ、意味がありません」
静かな声だった。


