第七回 びるぼなす

おくるひと

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前回のあらすじ

安らぎの対価として、ニコの怪しい仕事を手伝う―。そう決心したはずなのに、ケースの中身が気になって仕方のない私はキャリーケースのジッパーを開けてしまうが、中に入っていたのは、大きな黒い石のはずだった。その日、目を覚ますまでは…。

 公子がいる。キャリーケースの中に、公子が入っている。
 公子は目を閉じて、腕を胸の前で組んでいる。どこにも隙間がない。キャリーケースに公子を入れたのではなく、公子をキャリーケースで覆ったみたいだ。
 公子は動かない。
「お義母かあさん」
 呼びかけてみても反応はない。
 一花が公子をつついている。
「ふぇりーくす」
 公子は起きない。起きるはずもない。
 私はこの顔色を知っている。
 祖母が亡くなった時と同じ色だ。
 公子は死んでいる。
「どうして」
 昨日は石だったのに。大きくて、黒い石だった。絶対にそうだった。冷たくて硬かった。
 公子は死体になっても醜い。ぶよぶよとした肉塊。これを見間違えるはずがない。
「びるぼなす」
 一花は公子の死体を叩いた。何度も何度も叩いた。

       *

「美咲さん、ありがとうね」
 桜子さんが目を真っ赤に潤ませて言った。
「おうちのお味噌、母のために変えてくれたんですって?」
 私は曖昧に頷く。
「母はちょっと…ちょっと、なところがあるから、美咲さんに辛く当たってたんじゃないかと思って…」
「いえ、そんなこと」
「母もね、父が死ぬまではあんなふうじゃなかったのよ。今だから言えるけど、DVとかあってね…そういうのの繰り返しで、だんだん、性格が悪くなって…父が死んだことで、解放されたっていうのかな。なんか、自分の時代が来た! みたいな感じで、すごくままになっちゃって。でも、私にとってはやっぱり、母だから、いい思い出もあって」
 桜子さんは聞いてもいないのにベラベラとよく話した。いまさら何を言っても仕方がない。桜子さんが私に公子を押し付けた事実は消えない。
 私がじっと見つめていると、気まずくなったのか、ぱっと目を逸らした。
…とにかく、ありがとうね。母は、最期に美咲さんのところで過ごせて、幸せだったと思うわ」
 私がそうでしょうか、と言うと、桜子さんはそうよぉ、と答えた。
 アレがどうして、自然死ということになったのか、私には分からない。
 黒くて大きいキャリーケースにぴったり入った老婆の死体。私がキャリーケースを運んでいるのだって、防犯カメラに映っていたはずだ。それなのに、公子は心臓発作で、眠るように死んだのだ、ということになった。
 あの日、公子の死体を前に呆然とする私を尻目に、いつの間にか帰ってきていた夫は、
「ああ、死んでるな」
 と短く言って、公子のかかりつけ医に電話をした。
 夫はその後も、淡々とやるべきことを進めた。書類の手続きも、親族への連絡も、すべて夫がやった。
 今だって、喪主としててきぱきと動いている。参列者に挨拶する様は、いつもの豚みたいな様子からは想像もできない。
「あっ、一花ちゃんが」
 桜子さんが声を上げる。