第七話 それぞれの再起【5】

乱歩と千畝 RAMPOとSEMPO

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前回のあらすじ

54歳になった乱歩は、「少年もの」を書く意欲を失いかけていた。そこに珍客が訪れる。小さなお客さんの言葉が乱歩を突き動かす。

画 鳩山郁子
画 鳩山郁子

     五、

 昭和二十四(一九四九)年に発表された『青銅の魔人』は、江戸川えどがわ乱歩らんぽの少年探偵シリーズの戦後第一作として大きく喧伝され、瞬く間にベストセラーになった。復活した怪人二十面相と明智あけち小五郎こごろうの活躍に少年少女は歓喜し、戦前に小林少年と同じ目線で少年探偵シリーズを楽しんだ世代もまた、懐かしみながら読んだ。
 以後、少年探偵シリーズは毎年一冊のペースで刊行された。
『虎の牙』『透明怪人』『怪奇四十面相』『宇宙怪人』…太郎は書き続けた。光文社が企画した読者の子どもたちとの対談でも絶賛され、まだまだ書き続けねばという気持ちが湧いてきた。
 並行して、国内外のあらゆる推理小説に目を通し、評論や解説を書き続け、愛好家たちに良作を紹介することも太郎は忘れなかった。探偵作家クラブの仕事も旺盛にこなし、次々現れる若手作家の作品に目を通してアドバイスをするなど、今や実作者としてより探偵作家界の中心人物として認識されていることを感じていた。

 年を取ると歳月の流れるのが速いとはよく言ったもので、気づけば昭和二十九年になっていた。太郎は六十歳になった。
「江戸川乱歩さん、おめでとうございます」
「還暦でもお若いわ。まだまだこれから頑張ってくださいね」
 タキシード姿の男性と、きらびやかな衣装に身を包んだ女性がそろって、太郎に祝辞を述べる。前者はラジオやテレビで大活躍中の俳優・徳川とくがわ夢声むせい。後者はシャンソン歌手の淡谷あわやのりである。
「ああ、ありがとう…」
 赤いちゃんちゃんこ代わりのジャンパーに身を包み、赤いベレー帽を被った太郎はうつむきながら答えた。
 探偵作家クラブだけでなく、捕物作家クラブ、東京作家クラブという三団体共催により、丸の内の東京會舘の会場を借り切って開かれた「江戸川乱歩・還暦祝賀会」―作家や編集者のみならず各方面からも著名人がかけつけ、五百人収容の会場はほぼ満員となっていた。
 金屏風の前の太郎のもとにはさっきからひっきりなしに挨拶客がやってきて、息つく暇もない。もういい加減、座りたいと思っていた。
「乱歩先生、あとで一曲歌わせていただきます」
 スター歌手の魅惑的な微笑に、太郎は恐縮した。
「あ、ありがとう淡谷さん、楽しみにしています」
「あとで勘三郎君も来ると言っていましたよ」
「そうですか、徳川さん。ありがとう」
 立ち去る二人にぺこぺこ頭を下げるとベレー帽が床に落ちてしまった。さっ、と傍らに立つ木々きぎ高太郎たかたろうがそれを拾い、手で払って太郎の頭に載せる。
「すまないね、木々さん」
「もっと堂々としていたらどうです? 江戸川さんの還暦祝いですよ?」
 今の太郎にとってもっとも頼りになる作家の一人であった。探偵小説のあり方の認識は相違があってたまに雑誌上で論争もするが、戦前から共に探偵小説を書いてきた仲間であり、今や探偵作家クラブの重鎮といっていい。
「昔から苦手なんだよ、こういうの。ジャンパーも襟のところがゴワゴワするしね」
「しょうがない人ですね」
「ところで、木々さんが推していたあの新人は来ないのかな? 昨年、芥川賞を受賞した」
『或る「小倉日記」伝』というその作品を木々は「これからの推理小説」と激賞していた。太郎としては探偵小説と認めるわけにはいかない作品だったが、恐ろしい才能を感じた。今年四十五歳と、「若手」と呼ぶには抵抗のある新人だが、作家デビューに年齢は関係ないのだと世に知らしめるいいきっかけになるとも思っている。
松本まつもと清張せいちょう君ですね。来たがっていたのですが、外せない用事があるとかで。そのうちお引き合わせしますよ」
「頼むよ」
「あ、ほら、別の若手たちが挨拶に来ましたよ」
 二人の青年が、もう一人の青年の両脇を固め、太郎の前にやってくる。両脇の青年はにこやかな顔をしているが、もう一人は眼をしょぼしょぼさせ、太郎のほうを見ようとしない。
「おめでとうございます、乱歩先生」
 まず祝辞を述べたのは、右端の青年だった。スタイリッシュな背広に身を包み、髪をきちんと整えた、銀座の街を闊歩していてもおかしくない好青年高木たかぎ彬光あきみつである。
「おめでとうございます。赤いジャンパー、似合うてますね」
 煙草臭い息を吐きながら笑うのは山田やまだ風太郎ふうたろう。探偵小説は自分には合わない合わないと言いながらコンスタントに面白い短編を生みだすその才能に太郎は期待していた。高木と山田は同期デビューで仲が良く、他の若手も誘って「鬼クラブ」という新人作家の会も作ったと聞いている。