実は同じ高校・大学だった「江戸川乱歩」と「杉原千畝」、もし2人が出会っていたら…? 直木賞候補に選ばれた歴史ミステリー『乱歩と千畝』誕生秘話

乱歩と千畝 RAMPOとSEMPO

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 近年のミステリー小説ブームを牽引した作品の『むかしむかしあるところに、死体がありました。』や『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』で人気を博す作家・青柳碧人さん。

 新境地となる長編小説『乱歩と千畝 RAMPOとSEMPO』(新潮社)が第173回直木賞候補に選ばれた。

 旧制愛知五中(現・瑞陵高校)から早稲田大学へと、同じ道を歩んだ探偵小説の巨匠・江戸川乱歩と、人道の外交官・杉原千畝。実在する2人の人生が交錯した世界を描いた、壮大な歴史ミステリー物語だ。大胆な着想と緻密な構成で描かれる本作は、青柳さんにとって、これまでの作風とは異なる、斬新な作品になった。

 史実を元にした物語を紡いだきっかけや、この作品に込めた想いとは? 青柳さんに話を聞いた。

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探偵作家と外交官の意外な「接点」とは

乱歩と千畝

乱歩と千畝

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― 青柳さんの新刊『乱歩と千畝 RAMPOとSEMPO』はどんな小説なのでしょうか。

 この小説は、あの江戸川乱歩と人道の外交官・杉原千畝が、もし知り合っていたら…という設定の小説です。 江戸川乱歩と杉原千畝。2人ともすごく偉大な人、偉人といわれる人です。乱歩は日本のミステリーの巨匠といわれる人。杉原千畝は、後々「日本のシンドラー」と呼ばれることで有名な外交官。ご存じの方も多いと思いますが、第2二次世界大戦中、リトアニアのカウナスで、領事代理として6000人を超えるユダヤ人にビザを発給した人です。

 この全くジャンルの違う2人を、なぜ一緒に登場させたか。実はこの2人は出身校が一緒なんです。2人とも愛知県の愛知五中の卒業生なんですね。 出身地は、乱歩が三重県の名張出身、杉原千畝は岐阜県の八百津やおつ出身なんですが、2人とも父親の仕事の都合で名古屋に住んでいたので愛知五中に入学したということなんですね。当時の中学校は今でいう中高一貫校みたいなものです。
 そして、2人とも早稲田大学に進学しています。

―では、実際に2人には交流があったのですか。

 乱歩の方が6歳先輩なので 愛知五中でも大学でもかぶっていることはないんです。ただ、6歳っていうと、青年期ならすごい離れてる感じですが、大人になったら大して歳の差は感じないと思うんですよね。もし、長い人生の中で交際していたら、すごく近い存在だった気がします。というわけで、この乱歩と千畝が知り合いだったらという物語を発想したんです。いや、知り合っていた可能性はある。そこを僕が小説として物語にしようとしたわけです。

 設定といっても、歴史そのものを変えてしまうということではなくて、つまりあの時代の歴史が変わるという意味ではなくて、大きな歴史の流れの中で、2人がどうお互い影響し合い、どういう人生を歩んだかっていう物語を書きたかったんです。

早稲田にあった老舗の店で

―歴史をテーマにした作品は青柳さんの初の試みになりますが、どんなきっかけがあったのでしょうか。

 僕は今までミステリーを中心に書いてきたのですが、この作品を執筆するきっかけになったのは、乱歩の『青銅の魔人』(新潮文庫nex、2022年1月28日発売)の巻末に、解説を書いてくれないかと打診されたことでした。

 僕は、「光栄な話ですが、乱歩は読んできましたけど、そんなに詳しくないですよ」と言ったんです。そうしたら、「江戸川乱歩に関するエッセイでいいです。参考までにこれまでの3冊送ります」と、送られてきた既刊の文庫をみたら、現役の作家が解説を書いていらっしゃるのです。

 辻村深月さん、島田荘司さん、北村薫さん。顔ぶれがすごいですよね。でも3人とも、自分と乱歩との関わりを自由に書いていて、いわゆる解説じゃないんです。「これなら書けるかもしれない」と思いました。

 いざ書く段になって考えたのが、江戸川乱歩は若い頃どういう人だったのか、ということでした。早稲田大学出身っていうことは知っていましたし、僕も早稲田の出身ですから親近感もありました。しかし、要するにまだ「江戸川乱歩」になる前で、作家になるなど夢のまた夢という頃の青年乱歩が、いったい何を考え悩んでいたかを書こうと思ったんです。

 でも資料的には、本人が書いた回想録みたいな資料しかない。だから解説代わりに、15枚ほどの掌編小説を書きました。舞台は「三朝庵」という老舗のお蕎麦屋さん。本の冒頭のシーンです。

 江戸川乱歩と杉原千畝がお互いを知るようになるずっと前に、偶然に出会うという設定。このときなぜ杉原千畝を選んだかというと、乱歩と同時代の有名人を登場させて、お互い影響し合う物語になったらいいなと思って探したんです。

 ともかく、書き上げて原稿を送りました。そうしたら、担当の編集者さんが非常にそれを気に入ってくれて、「これを膨らませて長編にしませんか」といったんです。それから、乱歩研究の第一人者である中相作さんにお話しを伺ったり、千畝の出身地や記念館を訪ねたりして、取材で得た情報から想像を目一杯広げて書きました。

史実で「書かれていないこと」を書く

―江戸川乱歩と杉原千畝という歴史上の有名な人物をテーマに描くうえで、苦労などはありましたか?

 一番この連載で苦労したというか、どう書いたらいいか悩んだのは、杉原千畝が結婚した時代のことです。

 妻はクラウディアという白系ロシア人の女性です。その事実は資料に出てきます。つまり史実として確かなことなんですが、実はこの女性がどういう人だったのかは、全然わかってないんです。千畝の妻で白系ロシア人という関係性なら、なにか事実として書かれていてもおかしくないんですよ。千畝の最初の妻なんですから。でも、どういう経緯があったか、出会いのこととか結婚の理由とか、そういうことは資料にまったく残っていないんですね。写真は残っています。でもそれだけなんです。

 さらにいうと、ここが重要なんですが、千畝はクラウディアと離婚した直後の1936年に菊池幸子ゆきこさんと結婚しているのです。わずか4か月後のことです。

 クラウディアとの離婚、幸子さんとの結婚。その間がすごく短い。そして、その事情が奇妙なほど何も語られていない。普通に考えてもおかしいんです。逆にいうと、この二つの事実は、どこかでつながっていてもおかしくない。そもそも、離婚の理由も定かではないんですから。

 もちろん、本人も語っていません。いろいろ想像はできるところですが、ただ、僕はどちらかというとロマンチックな方に話をもっていきたかった。だから本に書いたようなストーリーにしましたけれども…。まあ、このあたりがどう書かれているかは、ぜひ注目して読んでいただきたいなと思います。こんな風に、資料に書かれていない部分をフィクションにして、実際に起きたことのように書いたので、そこを面白く読んでいただけたらと思います。

小説家として大事にしてきたこと

―この作品をどんな方に届けたいですか?

 もちろん僕は、年間何十冊も読んでいる「本好き」の人たちにも読んでいただきたいんですが、むしろ、今日初めて小説を読むという人にも楽しんでもらいたいと思っているんです。そういう人たちに面白いと思ってほしいし、楽しませたい。僕の小説は「読みやすい」といわれることが多いんですが、それはうれしいです。難しいことを書いても、読まれなかったら駄目だと思うんです。

 デビューから16年目になりますが、一貫して大事にしてきたことは、エンタメであるということです。たとえば今回の本のように資料が膨大にあると、どうしても資料を集めすぎて詳しくなってしまうことがあります。でも、それでは初めて小説を読んだという人は楽しめないのではないでしょうか。それはエンタメにならないということなんですね。作家としては、資料をある程度集めたら、あとは自分の想像力で書いていく。それを大切にしてきました。

 今回は歴史小説ですので、「ミステリーを封印した」と言われることもあります。しかし、ミステリー作家としてのアイデアとか伏線の手法も取り込んだつもりです。意外な人物とかあるシーンがのちに回収されるとか、そういう仕掛けを仕込んであります。それも、読者に驚きや読む楽しみを味わってもらいたいという思いからですね。

 本が出来上がった時にはすごく達成感がありました。初めてのハードカバーですし、感慨があります。もしかすると、乱歩に詳しい人にとっては、ちょっと物足りないかもしれないし、千畝を研究している人も同じように感じるかもしれません。

 しかし、江戸川乱歩と杉原千畝の両方に詳しい人って、多分あんまりいないと思うんです。だからこそ、作家としては、この2人の人生を小説としてリンクさせて書いてみたかった。お互いの人生が交錯したらどういう風に影響し合っただろう…と想像するのが楽しかったですね。だから、最初から物語のかっちりした設計図があったわけではなくて、執筆していくうちに、波瀾万丈のストーリーになっていったという感じがします。そういう意味で、誰も書いていなかったことを書くのは、小説家にしかできないことかもしれません。思い切り想像を膨らませながら書いた作品ですので、皆さんもそういうふうに読んでくれたらうれしいですね。