しばらく黙って壁を見つめ、それからスマホを充電器に挿して、ベッドに寝転がって、量子化学の教科書をぱらぱらとめくりながら、いまの電話を何度か頭の中で反芻した。
 ハルさんには娘がいるらしい。それはまあいい。
 ハルさんは今日、どこかに外泊している。それも問題ない。
 ただ、娘がわざわざ家庭内を探してからそれに気づく、というのは、少し不自然だ。つまり、ハルさんは娘に事前連絡をせずどこかに外泊し、その事態を娘がさも当然のように受け止めている、ということだろうか。
 母親が子供をネグレクトして、外に男をつくるような問題家庭があることは俺でも知っている。 だが、娘さんの電話応対はごく育ちの良さそうなものだったし(俺のほうが挙動不審だったか)、 ハルさん自身も…まあ、あの人はおもいっきり怪しいのだけど、そういう方向性の怪しさではない。

 翌日、いつもどおり異様な早朝に起き、異様な時間に大学に向かった。少しずつぬるくなりつつある朝の空気を受けながら正門をくぐり、いつもと違う道をたどり、文学部のあるほうへと向かった。
 うちの大学はいわゆる学部割れがなく、全学部がひとつのキャンパスに収まっているが、それでもなんとなくの文系・理系の地域分けはある。新歓期も終わってキャンパス全体の雰囲気が落ち着いてきていたが、やはり文系地区のほうがどことなく空気が華やかな気がする。 文学部図書館はそうした地区からさらに少し外れて、大通りに面したキャンパスの端にある、 街路樹の陰に隠れた湿っぽい建物だった。
 入り口には自動改札に似たゲートがある。理工学部の学生証でも開くのかな、と不安だったがあっさり開いた。大学というのは俺が思っていたほど無駄な縄張り意識がないらしい、ということが最近ようやく飲み込めてきた。
 入り口近くの端末を起動して、「蔵書検索」のところに「霊」「幽霊」といったキーワードを入れて応答を待った。ひとまずハルさんの扱っているものの学術的な位置づけを確認したかったからだ。
 白いプラスチック筐体の富士通端末はかなり古いものらしく、液晶画面がくすんでいて、ドットが数えられそうなほど解像度が低く、ベゼルがやたら幅広い。
 幽霊というのは、どう考えても科学的な存在ではないし、法律や経済もおそらく関係ないので、調べるとしたら文学部だろう。ネットでも少し調べたが、あまりにノイズが多くて役に立ちそうになかった。
 ところが出てきたのは「歴史上の画家たちがどのように幽霊を描いてきたか」といった感じの本ばかりで、「幽霊」というのがどういう定義の概念で、人間にどう扱われてきたのか、なぜそんなものを信じる人間が一定数いるのか、といったことをまとめた本はほとんど見当たらなかった。
 美術における幽霊の位置づけにはあまり興味がなかった。端末のウィンドウを閉じて、検索履歴が残らないことを一応確認してから、「宗教」「神学」「哲学」といったことが書かれている棚へ向かった。各宗教の死生観について書かれた専門書をぱらぱらと眺めたが、どうも俺の求めているものではなさそうだとわかると、なるべく自分のいた痕跡が残らないように、そそくさと文学部図書館をあとにした。
 大学図書館の宗教の棚というのは思ったよりも居心地の悪い場所だった。居場所のない大学新入生が新興宗教にハマっている、と扱われる自分が妙にリアルに想像できた。
 一応断っておくと、こういうところに置かれている本は「宗教学」であって、信徒が読むようなものではないらしい。と、高校の世界史教師が言っていた。
 しかし、信じてもいない宗教を研究して何が面白いのだろうか。神を信じているのであれば、その神について深く理解したがるのはわかる。しかし、信徒でない人間が、他人の作り物である宗教をあれこれ調べるというのは、あまり行儀のいい態度ではないのではないだろうか。
 いずれにせよ、その朝の結論は以下のとおりである。
 人間社会のうち、少なくとも大学という場所は、「幽霊」にほとんど興味を持っていないらしい。
 安心できる事実だった。霊媒師を名乗る女性の怪しげな業界に片足を突っ込むと決めた以上、軸足のほうはちゃんと正常な世界に所属していたかった。
 文学部図書館のそばには食堂があった。理工学部の間では「文系食堂」と言われている場所だった。こちらも朝だけあってほとんど人はいない。1限が始まるまでの少しの間、無料で出てくるお茶を飲みながら、量子化学の教科書を読んで過ごした。

(つづく)