「話を聞いた感じだと、どうも死因が特定できないんですよ。風邪をこじらせて亡くなった、ということですけど、時代を考えると、スペイン風邪か、結核だと思いますが」
 老人ならともかく、30代の女性が普通の風邪をこじらせて死ぬことは考えにくい。そして1922年という時代を考えると、スペイン風邪の流行期の直後にあたる。まだ死者が出てもおかしくない時期だ。
 結核は進行が遅い病気なので、風邪と間違われる可能性は低いが、大正時代の死因としてはあまりにもメジャーなので、可能性は考えておくべきだろう。
「スペイン風邪ねぇ。昔流行ってたわよね。あんまり覚えてないけど」
「流行のピークは1919年ですね。ひいばあちゃんが生まれた年です」
 俺がそう答えると、あらそうなの、とハルさんは頷いた。ひいばあちゃんの「女学校の同級生」を自称する彼女だが、本当にひいばあちゃんと同い年なのか、だとしたらなぜそんなに若いのか、といった点については言及を控えている。
「で、スペイン風邪は現代のインフルエンザと大体同じなので、タミフルが効くと思います。家にあったので持ってきました」
 と言って、俺はコンビニ袋の中身を取り出した。
 PTP包装シートに錠剤が8個ほど入っている。正月明けに父さんがインフルエンザになり、センター試験直前だったので家庭内にかなりの緊張が走ったが、幸いにしてウイルスは父さんの体内を暴れまわるだけで終わった。そのときのタミフルが家に残っていた。処方された薬は全部飲むべきなのだが、父さんはそういうところで少々いい加減である。
「それで、結核なら細菌感染症なので、抗生物質が効きますね」
 薬局で買える抗生物質が軟膏しかなかったので、皮膚炎の薬をいくつか取り出した。成分的には効くと思うのだが。
 へえぇ、すごいわねえ、とハルさんはひたすら感心していた。あくまで大学生の知識の範囲で考えたことであり、本気でやるのならちゃんと結核の処方薬を貰ってきた方がいいと思うが、この仕事にどれだけの「本気」が求められるのか、まだ掴めないでいる。
…で、薬を持ってきたはいいんですけど、そもそも幽霊って、死んだ人なんですよね。薬が効くんですか?」
「治すわけじゃないのよ。安心させてあげるの」
「でも、いきなり見たことのない薬を見せられて、安心できるんでしょうか? タミフルも抗生物質も、100年前にはなかった薬ですよ」
「そうねえ。その薬はちゃんと効くの?」
「まあ、生きている病人には効くと思いますよ。最近の結核菌は抗生物質への耐性が出てきているんですが、大正時代の結核菌なら大丈夫でしょう」
 幽霊に塗り薬をどうするのか、という問題はいったん脇において、俺はそう答えた。
「あなたがそう信じていること、それが大事なのよ」
 と、ハルさんはこっちの目をまっすぐ見て言った。
「幽霊は他人の感情を敏感に察知するから、あなたが『これで助けられる』と思っているのなら、きっと相手も安心してくれるわ」
「そういうルールなんですか?」
「ええ」
「それだったら、俺みたいな大学生よりも、なんでも祈祷で治せると思っている信心深い祈祷師を呼んだほうが効率的じゃないですか? あの人達は細菌とウイルスの違いなんて気にしないでしょうし」
「そういう非科学的な手段を信じない幽霊も、たくさんいるのよ」とハルさんはつぶやいた。「だから、あなたを雇ったってわけ。この前説明したでしょ」
「いや、幽霊が科学を信じていいんですか?」
「え、どうして駄目なの?」
「だって、科学は幽霊を信じてないんですよ」
 と言うとハルさんは首をかしげた。「それの何が問題なのかわからない」という顔だった。
 面倒になったので俺は議論をやめた。そもそも幽霊は問題ではない。そんな存在しないものの感情をおもんぱかっても仕方がない。俺が納得させるべき相手は、この目に見える雇い主なのだ。

(つづく)