驚いたことに、町内埋蔵金の伝説は母さんさえも知っていた。
「え、まだその話残ってたの? 私が小学校の頃からあったよ」
 と笑っていたのだ。
「そんなに長いこと語り継がれてるってことはさ、本当にあるんじゃねえの」
 と西田は興奮ぎみに言っていた。
「いや語り継がれている時間と話の信憑性は関係ないだろ。人間は5000年くらい前から神がいるって信じてたぞ」
 ということを俺は答えた。話が語り継がれるのに必要なのは、話の信憑性ではなくて、語り継がれるに足る理由があるかどうかだ。神を信じれば救済される、というインセンティブがあれば、どれだけ荒唐無稽な神であってもその存在を語り継ぐ人は一定数いるだろう。
 でなければ、話自体が面白いということだ。徳川埋蔵金の話が150年も人気を誇っているのは、明治維新で江戸城に入城した新政府軍が幕府の御用金を探したが空っぽだった、といったストーリーの面白さによるものだろう。
 対して、俺たちの町の埋蔵金は、エンタメとして語り継ぐにはあまりにも内容が曖昧あいまいだ。
 明治から大正にかけて、なんとかという一家がなんらかの手段で一財産を築き、町内の屋敷に暮らしていたが、終戦後GHQによる財閥解体を受け、財産の没収を恐れ、進駐軍が来る前に大急ぎで地中に隠した。というものだった。
 曖昧さに加えて、話がずいぶん最近だ。もし事実であれば、ひいばあちゃん世代がリアルタイムで覚えていたはずだ。
 埋蔵金ノートの最初にある地図のページをめくると、そこからは日記形式になっていた。主に平日の放課後、たまに土日を使って、その日調査した場所、天気や気温などが1日あたり数行で要約されている。
1ドルが82円になった。宝を発見したら今のうちにドルにして、将来にそなえるべきか」
 中高時代の自分が見たら大急ぎで古紙回収に送りそうなメモだが、今になって見返すと一周して可愛げがある。
「山の調査。西田が針金を2本持ってきたので、ダウジングは科学的に意味がないと教えてあげた。途中で西田が足をすべらせた。すごくいたそうにしている。骨が折れたかもしれない」
 この日ははっきり覚えている。町内にある小さな丘(当時は山だと思っていた)が埋蔵金の大本命だと思い、白紙をボールペンで塗りつぶすような稠密ちゅうみつさで地面を歩きまわり、その途中でかなりの急斜面を横切ることになったのだ。
 といっても市街地が見えるほどの場所だったので、結果的に大事には至らなかった。
「西田はねんざだった。ねんざは骨折ほど悪くはないが、1週間ほど歩けないので、ひとりで調査をすすめる」
「山でプラスチックの青い箱を見つけた。菅野かんの酒屋と書いてある。たぶんビールびんを入れるもの。西田の家に報告にいくと西田のお母さんがおやつをくれた。おいしかった」
「山はひととおり調べたけれど手がかりは見つからず。西田が復活したので、今日から田んぼの調査をはじめる」
 今から考えると、ずいぶん男子小学生の好奇心に理解のある親だ。子供がそこそこの怪我をしたにもかかわらず、どちらの親も埋蔵金調査をやめろとは言わなかった。総合的に見てずいぶん恵まれた子供時代だったと思う。
 だからこそ、高校で西田と致命的な仲違いをしたことが、いまもって悔やまれるのだ。

(つづく)