その年の小学1年生は、2000年4月から2001年3月生まれ、つまり20世紀と21世紀が混在している学年だった。「21世紀生まれがもう小学生に」ということがPTAの間でも話題になっていたそうで、そんな空気が子供のほうにもなんとなく伝播でんぱしてきていた。
 ことに1月4日に生まれた西田は「21世紀生まれ」というアイデンティティを生まれたときから背負っていた。「世紀」という名前にもそうした背景がある。
 そういうわけで、俺の西田に対する第一印象は「21世紀の男」だった。だから俺の中にはその後もことあるごとに「これだから21世紀生まれは」というようにして西田を小馬鹿にするノリが存在していた。
 だが小1の第一印象なんてものをいちいち覚えているのは珍しいらしく、俺がそんな初会話をいまだに昨日のことのように覚えているのに比べ、西田のほうはそんなことはすっかり忘れてしまった。その後少しの変遷を経て、西田が俺を語る言葉は、
「なんか頭いいやつ」
 に落ち着いた。西田の友達に俺を紹介する際に「こいつ、なんか頭いいから」みたいな具合に使った。字面だけ見ると褒め言葉だが、西田が言うとなぜか親しい相手だけに許される軽い悪口のように思えた。

 埋蔵金を探す、と言い出したのは西田のほうだった。
 小5でクラスが同じになり、給食を終えた後の昼休みだった。
 後ろから肩をとんとんと叩き、誰にも聞かれないようにと隅の掃除用具入れのほうに俺を連れ出し、
「なあユタカ、埋蔵金、探すぞ」
 ということを言った。
「はあ」
 と俺は気合の入らない返事をして、
「雑巾なくしたなら貸すぞ。俺、今週は中庭掃除の当番だから」
 と答えた。ボケたのか本気なのかは忘れたが、そう言ったことは覚えている。
「いやちげえから。お宝だよ、お宝」
 はあ、と俺はまた気の抜けた返事をした。そういうものが町内にあるらしい、ということはかねてから知っていたが、探すような種類のものだとは考えなかったからだ。
「なんで?」
「3DS買いたいんだけど、ママがお年玉使わせてくれねえんだよ。もっと役に立つものに使いなさい、って」
 西田は小5にもなって母親をママと呼んでいた。そういうことを恥ずかしげもなく言う男だった。「21世紀生まれだろ」という俺のイジりを受け続けたせいで、そういう幼児性を内在化してしまったのかもしれなかった。
「あー。そりゃお母さんが正しい」
 と俺はうなずいた。ゲーム機なんてのは子供の持つものだ、俺たちはもう5年生だぞ、ということを思ったが、自分なりに言葉を選んで、
「あれ3Dったって、単に右目と左目でちょっと違う映像が見えるだけじゃん。こういう定規と一緒だろ」
 と言い、俺は筆箱から恐竜の定規を取り出した。視差効果のある印刷が施されていて、アロサウルスのイラストが立体的に見える。アロサウルスを見せれば大抵のことは納得できるだろう、と小5当時の俺は考えていた。
「は? 全然違えし」
 と西田は答えた。
 とはいえ俺も3DSはさておき、埋蔵金にはかなりの興味がわいていた。ちょうどその頃図書室で『ズッコケ三人組』シリーズを読み漁っていたこともあり、そういう冒険が自分たちにもできると錯覚していた。そのせいで「見つけた宝が文化財だった場合は県の持ち物になる」という知識も持ち合わせていたわけだが。
「とにかく探そうぜ。見つけたら半分やるからさ」
 と、西田はさも自分に所有権があるかのように言った。まず土地の持ち主が半分持ってくから俺が半分とったらお前の取り分ゼロだぞ、という俺の話を「うるせえな」と一蹴したあと、
「それに、姉ちゃんがシリツの大学行きたいから、金あった方がいいし」
 と小さく言い添えた。
 西田の家には父親がいなかった。

(つづく)
※次週(2月1日)は休載となります。