■2-8 揺るぎない根本で枝葉を揺さぶる

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

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前回のあらすじ

つまり、幽霊の存在を信じている誰かが、ハルさんの能力を利用して何らかの調査を依頼し、その報酬の一部が俺のバイト代になっている、といったところだろう。納得がいった。霧が晴れるような気持ちとともに湧いてきたのは、つまらないな、という感情だった。

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■2-8 揺るぎない根本で枝葉を揺さぶる

「それは結果オーライじゃないか」
 高野たかのさんは 紙パックの野菜生活をひとくち飲んで言った。文学部の居室というところは初めてだが、空気よりも紙の占める体積が多いような部屋だった。蓋のない飲み物は怖くて持ちこめそうにない。
「その霊媒師さんが何かを調べているということは、つまり『正解』の判定ができるというわけだ。その人が本当に何かを見ているのか、それとも見ていると思い込んでいるだけなのかが、そのうちわかってくるだろう。面白くなってきたね」
「ハルさんの話、そんなに面白いですか」
 俺はそう尋ねた。人文学者の目線で霊媒師という存在を学問的に面白がっている、というわけではなさそうだった。少なくとも研究者は霊媒師が「本物」かどうかに関心は持たないはずだ。
「いや、その霊媒師さんというよりも、それを見る君の着眼点が面白い」
 文学部4号館にある高野さんの「部屋」は、大部屋を本棚で区切って4人で使うというものだった。もう少し出世すると個室がもらえるらしい。高野さんの空間はきちんと整頓されており、すべての書籍が背表紙の見える状態で本棚に並べられていた。
 もちろんこれは他の3席と比べて「整頓」という意味だ。もし彼女のスペースを単独で見せられていたら、俺の頭に浮かぶ二字熟語は「倉庫」だったろう。ちなみに他の3人は昼食で離席中だが、その机周りから浮かぶ熟語はそれぞれ「地層」「塹壕」「震災」だった。
「うちの科の学生は、みんなまっすぐで良い子なんだよ。ゼミで発表するときも、教授や私の意見を『正解』だと思って、無意識にそれをさぐってしまう。退官の近い教授には気持ちいい介護施設だろうけど、私みたいな若手にとっては、君みたいな偏屈な学生が負荷をかけてくるほうが楽しいね」
「そういう意味で言えば、俺も結構まっすぐだと思いますが。授業中の教授に反論したりしませんし。数式の符号ミスを指摘するくらいで」
「そうだね、谷原たにはらくん。でも、それは君が君の方向にまっすぐという意味で、私から見ればずいぶん斜に構えてる。それが私にとっては重要だ」
「そういうのは相対的な問題ですよね。俺から見ればあなたは、ずいぶん曲がった見方をしているように見えますし」
「斜めであることと曲がってることって、相対的ではないだろう」
…まあ、そうですけど、そんな言葉尻の問題はいいですよ」
「いや。私の知る限り、君はそういう物理的な正確性は執拗に気にする人間だ」
「この場合は物理というより数学ですが」
「そうそう。それが君だ」
 高野さんがニヤついている間に、位相幾何で考えれば傾くのも曲がるのも相対的だな、と一瞬だけ考えた。
「君は私のことを、うっすらと見下してるだろ? 相対的な問題だというのは、君なりの社交辞令なんだよ。本当は、客観的に言っても自分が正しくて相手が間違っている、と思っている」
 ぴくり、と眉が動くのが自分でわかった。最後に西田にしだと話したときの光景がふっと頭に浮かんだ。西陽の眩しさにカーテンを閉めた時のほこりっぽい臭いが、鼻をついたような気がした。
「そうなんでしょうか? 俺って」
…思いのほか弱気な声を出すね」
「そう見られやすいところがあるんですよ。できれば直したいんですが」
「ふむ。彼女にそんな理由で振られでもしたの?」
「いや、男友達ですが」
「君は友達に何かを言われて、落ち込むタイプには見えなかったな」
「それはそうなんですけど、そいつは要するに、俺にとっての他人の代表者であって、そいつを俺が見下しているということは、俺があらゆる他人を見下しているってことだと思うんですよね。少なくとも相手からは、そう判断されるというか」
「男友達に対する感情がとんでもなく壮大だな、君は」
 と言って高野さんは飲み終えた野菜生活をくしゃっと潰し、足元にあるくずかごに入れた。