■3-4 老人をひとり騙してでも確認するべき問題
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前回のあらすじ
台風は一晩できれいに通り過ぎ、翌朝きれいに晴れた。丘の一部で小さな土砂崩れが起きたので近寄らないように、と通行止めになっていた。そこは、かつて西田と2人で、埋蔵金を探した丘だった。

■3-4 老人をひとり騙してでも確認するべき問題
小5から小6にかけての埋蔵金探しで舐めるように歩き回った丘なので、地形のどんな細かい部分も頭に入っている。そして今回土砂崩れが起きたのは、西田が足を滑らせて捻挫した急斜面であった。
よくこんな場所に生えたな、というナラの幹を手でつかんで、根に足をかけて、ボルダリングのようにしてどうにか歩き回れる場所だ。その根の1本に落ち葉が積もっており、西田が靴を乗せた瞬間にずるりと滑り、5メートルほど下にある道路の側溝まで転げていったのだ。捻挫で済んだのは幸運だったかもしれない。
以後俺たちは「あの崖には近寄らない」という誓いを立てて(小学生から見れば崖だ)ふたたび丘の調査を続けた。「あんな危険な崖だからこそ、埋蔵金を隠すにはうってつけでは?」という未練もないではなかったが、親に調査禁止を命じられないためには安全第一で行かねばならない、と判断できる程度には小6は大人だ。
結果的に土砂崩れが起きたとなれば、その判断は正しかったといえる。
丘を覆う緑の皮を剥がしたみたいに、褐色の地面が露出していた。崩れた木々が巨大な薪みたいに積み重なり、その下に瓦屋根の建物がふたつ埋もれていた。どちらも古い納屋なので人的被害はなさそうだが、おそらく肥料や農具が保管されていただろうから、被害額で言えば相当なものになるはずだ。
崩れた崖をできるかぎり近くで見たい、と思った。もしかしたら埋蔵金の欠片でも露出しているんじゃないだろうか、という感情が抑えられなかったからだ。それは期待というよりも、少年期に自分で自分に刷り込んだ条件反射みたいなものだった。
舗装路を避けて田んぼの畦を歩いていくと、そこには70歳くらいの老人が4人集まって、崩れた土砂をまじまじと眺めていた。さすがに畦に交通整理員はいないが、老人たちはそこに見えないテープが敷かれているかのように、越えるべきでないラインを見極めていた。
「もったいねえな、もう少しで稲刈りだったのに」
「でも、人が巻き込まれなくて何よりだよ」
といったごく平凡な老人的会話をしているのだが、畦道に彼岸花がきれいに咲いているせいで、「冥土との境に立たされた老人たち」とでもいうような、妙に絵画的な風景に見えた。
もちろん相手は絵画ではない。その証拠に、老人のひとりが崩れた土砂を見る俺に気づいて、
「おおい、そこの兄さん」
と話しかけてきた。
「あんた、谷原さんとこのお孫さんじゃねえの」
とっさに相手の顔の特徴をスキャンしたが、いくら頭をひねっても「地域によくいる老人A」という以上の情報は浮かんでこなかった。曾祖父母が地元の名士だったせいで、俺のことを一方的に知っている老人が時々いる。
「あ、はい。こんにちは。お世話になってます」
「いやあ、この度は大変だったでしょう、奥様がご不幸でねえ」
と老人Aは言った。「奥様」が千代子ひいばあちゃんを指していると気づくまで少しかかった。
話によると老人Aは俺の曾祖父の関係者だったらしく、「あの方には昔本当にお世話になって……」「おかげでうちの事業も潰れずに……」「あんたもいずれはこの町をしょって立つ男に……」といった話を延々と続けた。そう言われても俺自身が清ひいじいちゃんを話でしか知らないので、はい、ええ、その節は、と機械的に相槌を打つしかなかった。両親がごく普通の勤め人なのですぐ忘れるが、俺の一族はこの町ではそういう位置なのだ。
他の老人3人は俺のことを知らないらしく、ずっとキョトンとした顔をしていた。その点は俺にとってありがたかった。非対称的にこちらを知られている相手と話すのは、あまり楽しい状態ではない。
最小限の意識を使って相槌を打ちながら、目線だけで土砂のあたりを追っていくと、畦道に積まれた瓦や枝に混じって、泥だらけの青い箱がひとつ置かれているのが目についた。小学生の筆箱くらいのサイズだが、厚みは2倍ほどある。
「はい。ありがとうございます。頑張ります。あの、ところで、そこに置いてあるの、何ですか?」
と強引に話題を切り替えて、俺はその箱を指した。