■3-10 同じものを違う手段で見ていた

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

更新

前回のあらすじ

「これ、よかったらどうぞ」「あら、あら、気が利くじゃないの、豊くん」とハルさんは目を丸くして言った。ハルさんの指示なしに、俺が自主的に霊のために行動するのが、よほど驚きだったようだ。

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■3-10 同じものを違う手段で見ていた

 ハルさんと「森川もりかわさん」の霊、そして娘さんの会話は続いた。今回はハルさんが受話器を握っているせいで、何もない空間に向かって話しかけていても、それほど異様な光景にはならない。通行人の少ない東口でも、その事実は少なからず安心できる。
 幽霊の声が娘さんに直接伝わる、というわけではないようだった。万一そんなことがあったら通話を録音して波形解析をするつもりだったが、ハルさんが通訳のような形で間に立って、霊の言葉を娘さんに伝えていた。
 聞くともなしに聞いていると、父娘の間には認識の相違があるのがわかった。父は「妻子に逃げられた」と思っているのに、娘のほうは「父親が自分たちを捨てた」と主張しているのだ。
 おそらく現実に起きた出来事としては、娘の言い分が正しいのだろう。ただ、父のほうの感情もよく理解できた。自信を失った男が自ら人間関係を放棄して、その責任を他人に押し付けようとする、という感情は俺自身にも心当たりがあった。
 …ただ重要なのは、ハルさんが父親の目線で話をしていることだった。この慰霊の依頼人は娘さんであり、つまり「森川さん」の人物像については、娘さんの話をもとに組み立てられているはずだ。それなのに、娘の認識の中にある父ではなく、現実に父が考えていたであろう立場を、きちんとシミュレートしてみせているのだ。
 つまるところ、ハルさん…を名乗って仕事をしている鵜沼うぬまモモコは、それができる人間なのだ。
『結局、再開発もやめちゃったんだから、お父さんも戻ってくればよかったのに…ねえ、どうして中止になったんだっけ?』
 娘さんの声が受話器から聞こえる。
「そうね。どうしてなの? 森川さん、知っているかしら」
 ハルさんは鉄パイプの山に向かってそう尋ねた。しばらく黙ったあと、
「用地買収がうまくいかなかったらしい、って言ってるわ。ここの両隣の地主が、最後まで売らなかったんだって」
 と答えた。ハルさんの口から出るのが不自然なほど、妙に具体的な話だった。
 そうした父娘の会話をいくつかして、その日の仕事は終わった。少なくとも娘さんのほうは、死んだ父親に話すべきことを話して、なにかしらの慰めになったと思う。生きている人間を慰められるとすれば、それは有意義な仕事だ。

 ハルさんとはその場で解散したが、夕飯まで少し時間があった。駅ビルに行って4階の書店と3階の電気店を一瞥いちべつし、それから1階のスターバックスの前を通ると、ガラス窓越しに見覚えのある女子高生の顔があった。
 それが鵜沼サクラだと認識するよりもコンマ数秒ほど早く、
「あ、谷原たにはらさん」
 と、無表情のまま口だけ動かした。窓越しで声は聞こえないが、おそらくそう言ったのだろう。この少女は口が動くわりに表情はあまり動かない。なにかと表情豊かなハルさんとは、その点ではあまり似ていない。
 入り口に回って店に入ると、スタバ特有の丸テーブルの上には英語の教科書とノート、そして空になったプラスチックのカップが2本置かれていた。
「仕事の帰りですか? ちょうど今朝ハルが降りてきて、家を出ていきましたので」
「ああ」と俺は頷いた。「そちらは?」
「友達と勉強しに来たんですが、その友達が急に彼氏に呼び出されてしまいまして。仕方なく、2本分の時間、居座っているところです」
「外で勉強する派なのか」
「好きというわけでもないですが、家で勉強するのが苦手なんです」
 そう言われて、俺は西田にしだの顔をふと思い出した。家族との折り合いが悪くなって、頻繁に俺の家に出入りしていた頃の顔を。
「君は、ハルさんとは上手くやってないのか?」
「いえ、鵜沼ハルと私、とても仲良しですよ。曾孫ひまごが嫌いなんて人はそうそういないでしょう」
 サクラは助詞の「は」を妙に強調して言った。つまり他の誰かとは致命的に不仲である、ということが含意されている気がした。それが「ハルとモモコ」なのか「モモコとサクラ」なのかは判断しかねた。あるいは両方かもしれない。
「あ、そういえば」
 と言ってサクラは英語の教科書をぱたりと閉じた。
「ハルから聞いたのですが、谷原さんって、勉強得意なんですよね?」