「うん、すごかった。お姉ちゃん、もはや何やってるのかわからないくらいびっくりしちゃったよ」
感嘆の思いを伝えると、スカイはますます嬉しそうだ。
「こんなのただのアップだからね! このあとビッグの方で720ビッタビタにキメるから、下でママと見てて!」
そう言ってスカイは、緩斜面でジャンプをして向きを変えたり、体重を載せ替えたりといったいわゆるグラウンドトリックを披露しながら、スイスイとリフト乗り場方面へ消えてゆく。
奈々子はロッジの前で板を脱ぎ、ラックに立てかけ、バルコニーにいるはずの美菜を探す。
「あ、奈々子さん! こっちこっち!」
一番奥の席に陣取った美菜が、トレードマークのピンクアッシュに染められた髪をかきあげながら、奈々子に向かって手を振っている。「シルバーウイング越後石打」の他の住民とはほとんど交流はないけれど、同じフロアに住まい、しょっちゅう廊下や一階のラウンジで出くわす大谷一家とだけは、いつのまにか仲良くなっていた。美菜の夫の健介は東京で不動産事業をしているらしく、シーズン中も週末しか現れないけれど、奈々子の二歳年上の美菜とは、大浴場や廊下で、ほぼ毎日と言っていいほど顔を合わせる。お互いのすっぴんも、スウェットにクロックスで歩く姿も見ているし、日焼けにいたっては美菜のほうが奈々子よりはるかに焼けて、肌はすっかり小麦色だ。お互いの一番気の抜けた姿をさらしきっているせいか、美菜に対してはもはや何も取り繕うつもりがないし、美菜のほうも、奈々子を気心しれた仲だと思ってくれているようだ。なにより、奈々子の私生活やバックグラウンドを詮索しないところが、とてもいい。
「奈々子さん、今日もストイックだねー。何本滑って来たの?」
あたたかい缶コーヒーを奈々子にひょいっと手渡しながら、美菜が問う。
「上のリフト四本回して、ちょっとコブも練習して、いまここに来たって感じ」
答えると美菜は、
「いいなー! 超うらやましい。こんな超最高の天気とコンディションでさ、あたしなんて朝からずっとここでスカイの見張りだもん。久々に気持ちよく滑りまくりたいなー」
と心底うらやましそうに言う。そこに嫌味や皮肉は一切なくて、奈々子は女同士でもこういうまっすぐな会話が成り立つことに、感動に近い気持ちを覚える。悪口や陰口、マウンティングや腹のさぐりあいがデフォルトになっていた初等科や中等科の同級生たちとは、こんな会話をした記憶がない。
「それにしてもスカイ君すごいねー。さっき、なんていうのかわからないけど、あの飛びながらクルッて回るやつ? あれ眼の前で見てびっくりしちゃった」
思うところを伝えると、美菜は照れたように笑いながら、
「いやー、あそこまでも大変だったんだよー。夏は埼玉のエアマット施設で灼熱の中週3で練習させてさ。まあ本人も好きでやってくれてるからいいんだけどね。今日は大きい方で720飛ぶんだって張り切ってるけど、正直ここで見ているあたしは胃が痛いよ」
と眉毛を下げて困り顔になっている。でも、その表情からは一人息子へのたしかな期待がうかがえる。
ここ数年、慶心学院関連の同窓会に出ても、出るのは子供の小学校受験の話か、新居や別荘の自慢話ばかりだ。彼らや、彼らの家族を見ていて、結婚したいとか子供を持ちたいなんて一度として思ったことがなかった。羨望も憧れも、一切抱かなかった。でも、なぜだろう。スカイと美菜の親子を見ていると、家庭を持つという選択肢も悪くないな、と感じるのが不思議だ。とはいえ、四十一歳で彼氏もいない奈々子にとって、それが非現実的な未来であることに変わりはないのだけれど。
「美菜さん、あれってスカイ君?」
バルコニーから見て向かって右側には、それぞれ十メートルと十二メートルの大型二連キッカーがある。その最上部に、白いヘルメットをかぶり、モスグリーンのスノージャケットをまとったスカイが列に並んでいるのが見える。
「あ、ほんとだ。あいつ、スモール十本飛んでからビッグにトライする約束なのに、調子乗ってんなー。まだ今日五本しか飛んでないのに。怪我するんじゃないぞー」
美菜が口にする、スノボやパークの用語もかつてはまったくわからなかったけれど、いまは(なんとなくだけれど)意味を察することができるようになった。
パークに目を向けると、スカイが左半身を前にして、レギュラーサイドでキッカーに向かってドロップしようとしていた。
(つづく)
※次回の更新は、12月13日(金)の予定です。