Room721――おひとりさまの城【4】
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前回のあらすじ
同年代の未奈とは、気心の知れた仲だ。奈々子は女同士でもこういうまっすぐな会話が成り立つことに、感動に近い気持ちを覚える。悪口や陰口、マウンティングや腹のさぐりあいがデフォルトになっていた初等科や中等科の同級生たちとは、こんな会話をした記憶がない。

「スカイー! 落ち着いていきなよー!」
となりにいる美菜が大声で叫ぶ。スカイは軽く右手を上げて応える。マンションで会うときの無邪気なスカイと打って変わって、もう一端のスノーボーダーという感じがする。
スカイがぴょんと軽くジャンプして、斜面を滑り始める。大きなキッカーなだけあって、アプローチの角度はとても急で、滑り降りるスカイのスピードが、ぐいぐい上がっているのがわかる。ほどなくスカイはリップを蹴り上げて、宙を舞った。宙を舞いながら、くるくると二回転してみせる。
雲間から差しこむ光が、スカイのゴーグルに反射して、きらりと光る。
「すごっ」
と、思わず声が出てしまう。が、着地の瞬間、スカイはバランスを崩したのか、背中から落ちた。ずざざざざざ、と音を立てて、ランディングの急斜面をスカイが滑り落ちてゆく。
「きゃっ、美菜さん、あれ、大丈夫なの?」
思わず立ち上がってしまった奈々子に対して、美菜はすっかり慣れているのか「大丈夫、大丈夫。背落ちだからねー」と落ち着いている。
「プロテクターも着させてるから、たぶん背中も擦りむいてないし、ケロッとしてるよ」
美菜の言う通り、スカイはランディングの斜面からしゅたっと立ち上がって、「ママー! めっちゃ惜しくなかった⁉」とこちらに向かって叫んでいる。
「アプローチの段階で重心上がっちゃってたよ! もっと腰落としな!」
スカイに向かって、美菜が容赦なく叫び返す。
「てか、美菜さんも、あーゆー飛んだり回ったりするやつできるの? マジ尊敬なんだけど」
奈々子が思わず本音を漏らすと、美菜は「ぜーんぜん!」と悪びれもせずに言う。
「あたしは高所恐怖症だし普通に滑るのが精一杯。でも、毎週あの子とかほかのユースの子の練習ばっかり見てたら、なんかわかるようになっちゃってさー。まあ、いいプレーヤーがいい監督とは限らないって言うじゃん?」
と言って美菜は快活に「はははっ」と笑った。ダメ出しをされたスカイは、「もう一回行ってくる!」と言って、またリフト乗り場へと向かっている。
一人娘として育った奈々子は幼い頃、両親が危ないと判断したものは、一切やらせてもらえなかった。同級生たちも、特に女子は、みんなそうだった気がする。男子たちのあいだでローラーブレードが流行り始めたとき、奈々子は母親の節子に「やりたい」とせがんだ。節子は「あんな危ないの、女の子には絶対させられません」とにべもなかった。九歳の一人息子にこんなアクロバティックなアクションスポーツをさせている美菜の姿を見たら、大げさでなく、節子なら卒倒するだろう。
「お、あれ怜央君だ。奈々子さん、彼すごいよー。トランポリンとかオフトレ施設でもよく会うんだけどさ。スキーの子だけどめっちゃ頑張ってんの。たしか今年でハタチとかだったかな」
美菜の指先をたどると、ビッグキッカーのスタート地点に、白いシンプルなスノージャケットに、かなりダボついた太い黒のパンツ姿の小柄な男が立っている。ヘルメットとゴーグル、ネックチューブのせいで、表情はまったくうかがえない。両手には奈々子が使っているのとはだいぶ様相の異なる短いストックが握られている。