第二回 「あなたはゴミではないですよ」

ためすひと

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前回のあらすじ

人生の重要な選択肢を、全て間違った果てに今の自分がある―。雄三は、人生を変えるために参加した「企業セミナー」で、明らかに周囲とは異質な美青年と出会う。

 顔立ちが整っている。でもきっと、顔立ちだけだったら、もっと綺麗な人間はいくらでもいるかもしれない。それでも、彼はどんな芸能人の中にいてもすぐに分かるだろう。オーラがある、というのはこういうことかもしれない。
 周囲の誰もが、宮田に群がっていて、彼には全く注目していないのが奇妙に感じられた。
「あの、あなたも宮田さんに興味が…」
 雄三が自発的に声をかけたのは奇跡的だった。普段なら絶対にできない行為だ。
 そして、口に出してから、なんと愚かな質問なのだろう、と気付く。
 セミナーに参加しているのだから、宮田あるいは笹井の、業績なり人となりなどに興味があるのは当たり前だ。
「寒いですね」
 美青年は雄三の質問を無視して、そう呟いた。
 確かに、人の多さに気を取られて意識していなかったが、この会場はあまり空調が機能していない。外と同じように、吐く息が白く染まるかもしれない。
 美青年は、前を向いたまま続けた。
「宮田という人にも、笹井という人にも、全く興味はないですね」
「えっ」
 思わず声が大きくなる。
「寒いからこそ人間は集まるのかもしれませんが、全くの無駄ですね」
 美青年は顔をゆっくりと雄三の方に向けて、口角を上げた。
「だって、全部同じですよ」
「同じ…?」
「ええ。あなたも何回か参加しているなら気付くはずですよ。皆言っていることは同じです。全部同じだ」
「そんなことは…ないんじゃないですか」
 こうして人に反論するのもまた、普段の雄三なら絶対にやらない行為だった。
 それでも、反論しないと、今までの経験や、何より金銭が無駄になってしまう。必死に続けた。
「毎回、色々な成功者がお話をしてくれていて…それぞれ、違った体験を持っているし…それに」
 はは、と美青年は笑った。尖った犬歯が覗く。
「あなた、お名前は?」
馬場ばば雄三です」
 反論はしたものの、雄三は目の前の美青年を不快に思ったわけではない。むしろ、美しい容姿と堂々たる態度に、タレントではないにしても、何か立派な功績のある人なのではないか、と期待と好感を抱いていた。
「雄三さん、何回くらい、このような講演会に参加されました?」
「そうですね…十回、よりは少ないくらいですかね」
「そうですか。そうなると、十万円は下らないですね。そのお金はどう捉えていますか? 経験? 自己投資?」
 美青年は名乗りもしないであけすけなことを聞いてくる。それでも、不思議と腹が立たない。ただ、彼の言わんとしていることが分かるだけに、恥ずかしくて頬が熱くなる。
 そうだ、こんなもの、経験にも、自己投資にもならない。
 十万円どころではない。交通費も含めると、二十一万円だ。
 二十一万円をドブに捨てた。
 美青年は直接的に指摘してきたわけではないが、そういうことだ。
 ふと、会場が静かになる。
 笹井が、会場の中央に用意された、簡易的な舞台の上に上がっている。恐らく、会の終了の挨拶をするつもりなのだろう。
「私の―」
 笹井が口を開いたのとほぼ同時だった。
 視界の端に何か黒いものが見えた。
 それはタイムキーパーの女性を突き飛ばし、猛然と笹井の方に向かっていく。
 スピーカーから蝸牛かぎゅうを掻きむしるような不快な音がした。少し遅れて、マイクが床に落ちる。
「死ね、笹井!」
 襤褸ぼろ切れのような服を着た男だった。
 遠目からは顔立ちは分からない。しかし、薄汚れていて、醜く歪んでいることは分かる。
 男は笹井に向かって拳を滅茶苦茶に振り回している。その拳が笹井に届くことはなかった。駆けつけてきた屈強な体格の警備員二人に取り押さえられたのだ。
 押さえつけられてなお、男は喚き続けている。
「お前のせいで人生が滅茶苦茶だ! 何が『成功』だ! 何が『他の人とは違う』だ! 俺も、俺の家族も、お前の言葉にっ」
 セミナー参加者の女性がけたたましい悲鳴を上げた。それを皮切りに会場がざわつき始める。
 男の口は動き続けている。しかし、もう何一つ聞こえない。
 男はずるずると会場の外へ引き摺られていった。
「まだ早いのではないでしょうか」
 ざわめく会場をよそに、冷静な口調で美青年が呟いた。
「鏡を通して見るのはもう少し先で良いのに」
「なんですか?」
 雄三が聞き返しても、美青年は前を向いたまま、答えなかった。彼の言葉には妙な不安感がある。意味が分からないからなのか、それとも、他の理由があるのかは分からない。
 しばらくして会場の喧騒がふっと静まった。そのタイミングで、一度は舞台から姿を消していた笹井がまた現れる。
「いやあ、皆さん、すみません。たまにさっきみたいな、所謂いわゆるアンチというんですか? ああいう人が現れるんです」
 顔にも、声にも、一切の動揺は見られない。
「恐らく、これから大成功する皆さんにも、アンチは沢山出てくると思います。でも、アンチがいるっていうことはね」
 笹井は一呼吸おいて、拳を高く振り上げた。
「私たちの意見が、マスに届いているということなんです! 賛同者ばかりでは、狭い世界のお山の大将のようなもの。大勢に届いているからこそです。成功した証拠ですよ!」
 どこからともなく拍手が聞こえた。拍手は波のように会場に伝播でんぱする。雄三もつられて拍手をした。
「さて、中断してしまったお話をしましょう。私の―」
 次の瞬間、美青年が雄三の耳元に口を寄せて囁いた。
「コンサルティングには、一つだけ誰にも負けない強みがあります。それは、顧問契約が長く続くことです。一社の平均は、約十年です」
 ぎょっとして体を反らせる。
「コンサルティングには、一つだけ誰にも負けない強みがあります。それは、顧問契約が長く続くことです。一社の平均は、約十年です。一番長いお付き合いのある会社はもう二十年になるかな」
 笹井がそう言うと、会場の端々からおお、と声が漏れた。
 美青年も会場の声に同調しておお、と言っている。
 雄三は彼から目が離せなかった。
「なんで…」
 なぜ、一言一句たがわず、笹井の発言を予測することができたのだ。思考がまとまらず、上手く言葉が出てこない。
 鯉のように口をぱくぱくとさせる雄三をしばらく見た後、
「だって、どうせ同じことしか言わないから」
 と美青年が短く言った。