三日目【14】 神田里子は、両手を握り締めた。
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前回のあらすじ
風俗店に勤める神田里子は、なじみ客の森から「結婚前提で付き合ってほしい」と告白される。翌日、初見の客のもとへ向かった里子は、部屋に隠れていた男たちに襲われるが、部屋に飛び込んできた森に助けられた。二人は「ファミレスで知り合いに声をかけられるかどうか」で賭けをすることに。
「あと三分か」
森が腕時計に目を落として呟いた。
それを見ながら、もしかしたら、と思った。
賭けをしようなんて言い出したのは、この人も自分の人生を変えたかったからかもしれない。
このままではどうしようもない。でも、どうすることもできない。どうしていいのか分からない。だから、毎日同じ暮らしを続けている。その中にどっぷり浸っていると、やがて悪臭すらも感じることができなくなる。
この人も自分も、似たようなものだ。
賭けなんてやめよう、その言葉が口元まで出掛かった。
けれど、それを飲み込んだ。
似たもの同士だからこそ、うまく行かないに決まってる。だったら、期待するのはよそう。
自分の人生には、いいことなんて起こらない。奇跡なんて起きることはない。そんな人間が二人寄り添っていても、仕方がない。
森が思い出したようにテーブルの上の馬券を取り上げた。それを再び祈るように組んだ手の中に収める。
神田里子は再び店内を見回した。見えるのは、やはり見知らぬ他人の群れだけだ。
ふと、隅のボックス席に座っているカップルが目に留まった。
男のほうは赤く染めた髪を尖らせている。その向かいに女が座っている。一見したところ、地味で、真面目な女子大生のように見える。二人は暗い顔を突き合わせて何かを話し込んでいる。
なぜか女の仕草に見覚えがあるような気がした。
どこで見たのだろう。学生時代の同級生? 昔の職場の同僚? 思い出せない。それとも、単なる気のせいなのだろうか。
彼女が知り合いだったらいい、そう思っている自分に驚いた。
もしかすると、自分は賭けに負けたがっている?
目を戻しかけたとき、再び陣内のことが頭に浮かんだ。最後に車に乗ったときに、陣内が言っていたことを思い出す。
前に働いていた女の子を町で見かけた。ずいぶん感じが変わっていて、真面目になったらしい。
そうだ。前に一緒に働いていた女の子だ。店では「さやか」と名乗っていた。
「どうすんだよ……、このままだったら、今度は俺が追い込まれるんだよ……、なんであんな変な男連れて来るんだよ……」
「そんなこと言ったって、仕方ないじゃん……」
席は少し離れていて、声は切れ切れにしか聞こえない。もしすべて聞こえていたとしても、何の話をしているのか意味を理解することはできなかっただろう。
どちらにしろ、神田里子にとって話の内容はどうでもよかった。
そこに知り合いがいる。
気付いて欲しいのか、気付いて欲しくないのか、自分でも分からないまま、神田里子は彼女を見つめた。
声を掛けてきたら、賭けは森の勝ち。掛けてこなかったら、自分の勝ち。
さやかが立ち上がって、思わず神田里子は、両手を握り締めた。
こっちに気付いた?
そうではなかった。さやかはそのまま男と一緒に背中を丸めてファミレスを出て行った。神田里子のすぐ隣の通路を通りさえしたが、彼女はこちらに気付くどころか、目を向けて来ることもなかった。