第三話 瑠璃色のプレゼント【3】
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前回のあらすじ
三人展で付きまとう「男」を、なんとか躱し続けたが、ついに公園で待ち伏せされた未緒……。逃げ切れるか!?

しばらくネットニュースと事務所で取っている新聞を読み漁っていたけれど、鶴来の記事は載らなかった。事件の扱いなら掲載されると思うけど、事故の扱いになったのだろうか。そして、本当に鶴来は死んだのか。
絵の送り先として住所は知っているけれど、ようすを窺いになど行けない。乙羽にそう打ち明けると、セールスのふりをして電話をかけてみればと勧められた。番号が携帯電話の並びだから、壊れたスマホに紐づけられているのではと言うと、生きているなら同じ番号で新たなスマホに紐づけるだろうし、死んだなら解約されているのでは、と説明された。
公衆電話からかけてみると、電話は通じた。呼び出し音が鳴っている。生きているのか、とほっとするとともに、まだ恐怖が続くのかと絶望的な気分だった。電話を切ろうとしたところ、相手が受けた。女性の声がする。
「鶴来祥悟の携帯電話です。ご用件は」
事務的な口ぶりだった。反応できずにいると、もう一度、ご用件は、と繰り返す。
「あ、わ、わたし、銀座にある画廊の――」
「キャンセルさせてください」
最後まで聞くことなく、返事がやってきた。
「絵、でしょう? 申し訳ありませんがキャンセルさせてください。本人は他界しました。証明するものが必要でしたら用意いたしますが」
「いえっ、顧客様への展覧会のご案内で――」
「では名簿から消してください。失礼します」
あっさりと電話が切れた。
乙羽から、じゃあ番号を継承したんだねと言われた。契約者の遺族だと証明することができれば可能らしい。今どきは、サブスクやネットサービスに携帯電話の番号を使うので、それらの解約のために番号をしばらく持ったままにすることがあるそうだ。貿易会社の社長だというから、さまざまなセールスがあるのだろう。妙に事務的だったのは、そのせいかもしれない。こちらが公衆電話だったことについても、疑いは掛けられなかった。
鶴来は死んだ。事故か事件か扱いはわからないけど、警察からはなんの問い合わせもきていない。
ただわたしは、乙羽に頭が上がらなくなった。
それを実感したのは、ぶどりんご社の案件が流れたと、恩田所長から知らされたときだ。別の描き手に決まったという。
誰になったのかと問うと、乙羽だと言われた。ぶどりんご社に直接売り込みがきたようで、乙羽の名前を知っている担当者が、喜んで決定のGOサインを出してしまったそうだ。
そういう案件があると、うっかり漏らしてしまったわたしが悪い。だけど、だからって。
怒って電話をすると、乙羽はこう答えた。
「以前からアプローチを受けてたんだよ。この間また連絡がきて、いいですよって答えたら、ぽんぽんと決まっちゃって」
所長は、描き手側から売り込みがあったと言っていた。どちらが正しいのか。
「この間わたし、描くかもって言ったよね。それを横取りするって、あんまりじゃない」
「ごめんねー。その本だったとは思わなかったんだって。出版社はいろんな本を出すし」
「わたしの机の上にあった本のシリーズだよ? そんなわけないでしょ」
「シリーズだってことも、知らなかったんだってば。今回仕事を受けて、ほかの本が送られてきてやっと知ったくらい。最近のあたしたちの絵、似てきているけど、子供向けだったら、あたしの絵のほうが合ってるよ」
――似てきている?
わたしに言わせれば、似せてきているのは乙羽のほうだ。
もともと乙羽もわたしも、リアルな絵を描くほうだ。それを漫画っぽくならない形でイラスト風にしていくと、どうしてもミュシャの系統に連なってしまう。それでもある程度のすみわけはあって、わたしの絵にはファンタジックな雰囲気があり、乙羽の絵はポップなかんじだ。でも今の乙羽の絵は、わたしのほうに寄ってきている。
乙羽は大学時代から、他人の良い要素やモチーフを取り入れて、自分のものにしていく人だった。一度、さりげなく注意したことがある。でも、ゴッホだって初期と後期では色使いが違うし、ピカソなんて絵そのものが違うよ、画家の絵は変化するものだよ、影響を与え合っているんだよ、なんて言われた。だけど、影響と真似は違う。真似をされたほうはわかる。わたしの得意な草花の意匠や中間色の使い方が、今の乙羽の絵にはたびたび登場している。
絵に詳しくない人が見たら、区別のつかない作品もあるだろう。
「わたしだって、子供向けにして、サンプルを出した。ちゃんと要望に合う絵が描ける」
「判断するのはクライアントだよ。で、あたしを選んだ。それに似ているなら、名前が売れているほうに依頼するものじゃない?」
乙羽が平然と言うので、呆れてしまった。
たしかにここのところ、乙羽の絵をカバーに掲げた本が続けて出ている。注文も多いのだろう。
乙羽は、わざとこの案件を横取りしたのでは。自分には逆らえないと思わせるために。そして売れているほうの絵が本家本元になるのだと、見せつけているんじゃないか。