きっちりと丸いかたちや冬の猫 ①
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週に一度のルーティーン。木曜日の夕方五時、姪っ子の秋穂を保育園へ迎えに行き、二人で市営バスに乗って、〈コクリコ音楽教室〉へ向かう。ピアノのレッスンを終えた姉の秋恵と落ち合い、三人で近くのスーパーに寄って夕食用の買い物。そして、わたしにとっては両親が住む実家であり、姉夫婦と(今のところは)一人っ子の秋穂の家族三人のマイホームでもある二世帯住宅へ。帰宅するわたしたちを、親世帯の台所で母が待ち受けている。夕食の支度を手伝い、みんなといっしょに食事したら、わたしは私鉄線で三駅先にある一人暮らしのアパートへ帰る。途中でスポーツクラブに寄ることも多い。ついでにお風呂に入ってしまえるので楽なのだ。
このルーティーンが始まって、そろそろ一年になる。すっかり慣れて、保育園の先生たちとも顔なじみになった。
昨年の今ごろ、結婚・出産後もずっと仕事を頑張ってきた姉が退職した。それまでは、姉の夫もまた激務でしばしば海外出張ありというキツい条件が重なったこともあり、仕事と家事と子育てを合わせて「二十五時間働けますか」的な過労ダウン必至スケジュールをこなす暮らしぶりだったから、
「このままじゃ秋恵が早死にしちゃうって、ずっとハラハラしていたの。これで、やっとその不安から解放されるわ」
母のしみじみした呟きに、わたしも深くうなずいたものだ。
一方、当の本人はこんなことを言い出した。
「せっかく会社人間から卒業できたんだもの、わたし、ピアノを習いたい。パートを見つけて、月謝とお小遣い分は自分で稼ぐから、ピアノ教室に通わせてほしいの」
姉は幼稚園児のころから文武両道の万能選手で、勉強もスポーツもできて、美術のセンスもあった。ただ音楽については、みんなが習うリコーダーやピアニカがやっぱり上手かったというぐらいで、特定の楽器を習うとか好むということはなかった。
なのに、出し抜けにピアノを習いたいとは。
「ピアノが弾けるといいなって思うようになったのは、わりと最近のことなの。お母さんもハコも知らなくて当然よ。まだ昭典さんにも話してないくらいだし」
姉の夫の昭典さんは、大学のゼミで姉と知り合い、一目惚れで猛アタックして付き合うようになって以来、今も姉一筋の純情なヒトである。そして、ハコはわたしの通称。名前が葉子だからだ。姉とは共通点のない名前だけど、それはたぶん、姉を命名したのが父方の祖父母で、わたしを命名したのが母方の祖父母だったからだろう。
「お母さんには今まで以上に甘えることになっちゃうけど、わたしも頑張るから、ピアノを習わせてください」
過密スケジュールの姉をずっとサポートしてきた母が、ためらう様子もなく承諾したので、わたしも否と言う理由はなかった。可愛い姪っ子に週一で会えるなんて嬉しいし、木曜日はわたしの仕事の定休日でもあるので、不都合はない。
姉がそれまでのキャリアを捨てて退職したのは、新型コロナウイルスに感染し、その後遺症に悩まされたことがきっかけだった。会社は理解がなかったわけではないけれど、姉がいた部署は基本的にハードワークなところだったので、体調が万全でないと、どうしてもさまざまな局面でちくちくと居心地の悪い思いをする。姉の仕事に向ける情熱は空回り、鬱々として不眠症になった。
この様子を見て、昭典さんが決断した。
「秋恵、仕事なんか辞めちゃえ。これからは好きなことだけしてればいい」
義兄がもっとばんばん稼いでくれるというのだから、いいじゃないか。姉が余裕を持って子育てを楽しめるようになれば、秋穂にとっても幸せだ。わたしたちは、「辞めちゃえ、辞めちゃえ」と合唱した。そして姉は退職。しばらく休養したら後遺症も完全に消え、念願のピアノ教室に通い始めると、みるみる顔色がよくなって不眠も治った。


