愛するということは

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 里美は警察で全裸になって体に何も隠していないかを調べられた。羞恥心より、こんな屈辱的な格好をしなければならないほど自分が悪いことをしたのだと思った。
「里美に脅された」「殺す、と言われた」と琢朗は証言した。
 嘘だ、そんなこと言ってない。なのに反論できなかった。血に濡れた琢朗の顔がフラッシュバックする。怖くて目を閉じても、残像は消えない。段々と里美は深く考える力を失い、言われるまま調書にサインをした。
 そして起訴された。
 裁判では、国選弁護人がついた。女性弁護士は里美に親身になって、琢朗の言い分の曖昧あいまいさを主張し、琢朗の怪我は切り傷程度だったこともあり、裁判は二回で結審した。
 懲役一年、執行猶予三年。
 児島里美は前科者となった。
 もう元のアパートには戻れない。部屋も引き払われただろう。起訴後、保釈申請は通ったが、両親は保釈金を払ってはくれなかった。里美は裁判まで拘置所で暮らした。
 結審後、仕事も貯蓄もなかった里美が向かう場所は実家だけだ。
 古びた一軒家の玄関にあったはずの「児島」の表札は外されていた。両親は帰還した里美を追い払うようなことはしなかったが、歓迎されるわけもない。
「まさか身内から犯罪者が出るなんて…ご先祖さまに顔向けもできないわ」
 母は大きくため息をついた。どれだけ謝っても、父も母も目を合わせてくれなかった。

第二章 心とは

 新庄豊しんじょうゆたかは足が速かった。この足でどこへでも行けると信じていた。

 小学生の頃、友達と知らない家のチャイムを押して逃げる「ピンポンダッシュ」が流行った。みんな一度は捕まっていたけど、全速力で逃げ切った。
 運動会のリレーではアンカーに抜擢され、最下位からの劇的な勝利をもたらし、クラスのヒーローになった。羨望の目で見つめられ、初めて快感を覚えた。
「豊くん、将来オリンピック選手になれるよ! 金メダル取ったらみせてね」
 当時好きな女の子に言われて舞い上がり、中学からは陸上部に入った。顧問にすぐ認められ「黄金の足の持主」と持ち上げられたが、そのせいで先輩に嫉妬され、いじめられる前に速攻退部した。
「逃げ足も速いんだな」と辞め際に顧問から嫌味を言われたが、わざわざ面倒くさい人間関係に巻き込まれたくない。放課後、一人で走るほうが健全だ。それにいつかこの足は、金メダルでなくとも、何かをもたらしてくれるかもしれない。

 やがて時が過ぎ、新庄豊は社会人になってわかった。
 黄金の足など何の役にも立たない。むしろこの俊足のせいで無駄に夢を見てしまったとさえ思う。
 ところが足以外の宝を持っていることに気付いた。
「ありがたい顔をしているよね」
 親戚がしみじみとつぶやき、豊に合掌したことがある。冗談とはいえ、いきなり大人に拝まれてぎょっとした。
 仏顔、恵比須顔、子どもの頃から周囲にそう言われ続けた。このめでたい顔に豊はずいぶんと助けられてきた。
 何より覚えてもらいやすいし、可愛がられやすい。そして敵視されにくい。
 人は見た目の印象で足を引っ張られる。嫉妬で引きずり落される人々を豊はこれまで何人も見てきた。
 生きていくコツは人に嫌われないこと、愛されること──足がどんなに速くても意味はない。この顔は、どんなどす黒い感情を抱えていても隠してくれる。
 心は誰にも見えないのだから。

(つづく)
※次回の更新は、8月28日(水)の予定です

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