愛するということは

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 豊は時折煙草を吸う。でもそれは外で、ひとりの時に限っていた。
 ライターをどこに仕舞ったか、とポケットを探ったが見つからない。煙草を仕舞っておいた鞄のポケットにも入っていなかった。
 一旦咥えた煙草をあきらめかけたその時、豊のいる場所からさらに奥まったところから火薬の匂いが漂った。
 花火か──。
 なんとなく奥へと歩を進めると、小さな女の子が線香花火を手にしていた。
 突然現れた男に女の子の無防備な視線が注がれる。ほんの数秒の沈黙が、ずいぶん長く感じられる。
「汐里、それでもう終わりよ」
 声が聞こえた。
 建物の裏口から人が出てきた。里美だった。
 汐里と呼ばれた子は、顔だけ里美の方に向けて「ママ」と答えた。
 里美は汐里から顔を上げ、豊の存在に気付いた。
「あ…」
「どうも…あの、火を貸してもらえますか?」

 里美に子どもがいたとは…通勤中も、仕事中も、ベッドで横になっていてもそのことが頭を離れない。
 あの日、火を貸してもらい、煙草を吸いながら里美にいくつか訊いてみた。
 ──汐里っていいます。五歳です
 ──今日は保育所に空きがなくて、連れてきました
 ──ひとりで、育てています
 煙草一本分の聴取はこんなものだ。でもここまで聞き出せたことは豊にとって大きかった。
 あの日以来、里美のガードは急に緩くなり、店に行くとそばにやってきて話すようになった。豊は彼女が嫌がるようなことをするつもりなどなかったし、彼女が身の上について話してくれることは嬉しかった。
 気付いたら里美のことで頭がいっぱいになり、彼女に子どもがいてもその感情は変わらなかった。
 ある夜、勘定を済ませてから、里美に「店が終わってから逢いたい」と小声で告げた。約束した駅近くの深夜営業のカフェに彼女はやってきた。
 里美はメニューを見ると「柚子ソーダ」をオーダーした。うつむき加減だが、表情が固いのはわかる。深夜に呼び出したので警戒されるのは無理もない。豊はコーヒーを一口飲んでから言った。
「おれ、君を怖がらせてない?」
「何ですか、それ…」
 どうも会話がかみ合わない。同じ日本語で話しているのに通じていない。不安そうに揺れる目の奥の光を豊はまっすぐに見つめる。すると里美がくすっと笑った。
「ごめんなさい…新庄さん、怖くなんかありません。優しい顔してる」
 ハッと、自分の恵比須顔のことを思い返す。どれだけ真面目に語っても、自分の顔は彼女には笑って見えるのだろう。
 力が抜けて豊も笑う。初めて聞く里美の笑い声は耳に心地よく、どこかぎこちない笑顔がどうしようもなく愛おしくなっていた。
 店を出て、人気のない場所でさりげなく手を握ると、拒否せず握り返してきた。豊はそのまま里美を抱きしめた。
 これまでのどの女よりも軟らかく、このまま吸い込まれてしまいそうで、豊はその感触を全身に刻み付けていた。

(つづく)
※次回の更新は、8月29日(木)の予定です

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