それから一時間ほど経って、大きなカバンを肩にかけた里美と汐里は帰ってきた。
里美は玄関で待つ豊の姿を認めると、すぐに駆けつけてきた。
「いつから、いたの?」
「……携帯の充電が切れちゃって、電話できなかった。しーちゃん、こんばんは」
「……こんばんは」
汐里は目を伏せて答える。いつもより目が腫れぼったく、声に張りがない。
里美は黒いトートバッグをかき回して鍵を探していた。さっきまで左肩にかけていた大きなボストンバッグは地面に置いてある。
「今日は大荷物なんだね」
「ちょ……ちょっと待ってね」
ふと見ると汐里は、見たことのないベロア素材のワンピース姿で、じっと豊を見上げていた。いつもより大人びた汐里の目は、ガラス玉みたいだ。
鍵が見つかりようやく解錠し、扉を開ける。部屋の中も当然冷えていたが、風がない分ましだ。
豊は部屋に入ると、すぐにトイレに駆け込み、我慢していた尿意を解消する。
「これ、飲んで」
里美からマグカップを渡されて、中身を確認しないで口にする。のど元を通っていく甘く熱い液体が胃に落ちて、じわじわと胃を温める。
「甘酒」
やっと人心地つく。ベッドの端に座って、甘酒を飲み終えると同時に汐里がカップを回収していった。
「ありがとう。しーちゃんは気が利くね」
温まったせいか睡魔に襲われる。
「少し、横になったら?」
里美の声に誘われるように、ベッドへ横たわる。毛布をかけられた時、意識を手放した。
豊は肩口が寒くなって、毛布を引っ張り上げた。
この部屋は壁が薄いから寒いのか……そう思った途端、現実に返った。
あわてて上半身を起こして、目に入ったのは床に敷いた布団に眠る里美と汐里だった。くの字になっている里美が小さなくの字の汐里に覆いかぶさるように眠っている。
二人を起こさないよう、豊はベッドから降りると自分の鞄を手にする。ダイニングテーブルに置いてあった携帯電話を鞄に入れると、玄関へと忍び足で向かう。
そういえば鮭フレークの瓶詰め……一応保冷剤をつけてはもらっていたけど、要冷蔵だったはず。
ふとテーブルを見ると、空になった瓶があった。
「……お腹が空いたって……汐里が食べちゃった」
布団から里美の声がした。
「携帯、持った?」
「あ、うん……じゃ、行くわ」
「行ってらっしゃい」
豊は靴を履いて玄関の鍵を開けると外へ出た。そこで一分ほど気配を消して立っていた。内から鍵を掛ける音を確認してそこを離れた。
(つづく)
※次回の更新は、8月30日(金)の予定です
※この続きは、新潮社より発売中の『愛するということは』でお楽しみください。
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