月曜日にパンをくれる「親切な兄弟」の正体は、絞首刑執行人だった…15歳で強制収容所に送られた「ユダヤ人少年」の壮絶過ぎる実話【書評】
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ユダヤ人少年の幸せな日々は、突然終わりを告げた――。ヒトラー率いるナチ党が政権を取ったドイツで、少年は何を見て、何を感じたのか。3つの強制収容所を奇跡的に生き延びたヘンリー・オースターさんが、ホロコーストの日々を少年の視点から綴った実話が『アウシュヴィッツの小さな厩番』(新潮社)だ。
ヘンリーさんはドイツのケルンに生まれ、自分のことをドイツ人だと思い暮らしてきた。世界が変わってしまったことを肌身で感じたのは、小学校入学の日の帰りにナチ党の青少年組織に襲撃されたときだ。そこから岩が山肌を転がり落ちるようにユダヤ人を取り巻く状況は悪化していく。家や財産、仕事まで奪われ、強制労働と飢餓の日々が始まる。そして、ついに強制収容所へ――。
死と隣り合わせの毎日を少年はどのようにして生き延び、70年後に再び訪れた祖国で何を語ったのか。俳優・作家の中江有里さんが同書を読み解いた。
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「奇跡」とは、思いがけずやってくるものだ。
通常それは自分の力が及ばない、超自然的な力を意味する。
『アウシュヴィッツの小さな厩番』に描かれるのは、あるユダヤ人少年の強制収容所からの「奇跡」の生還。この「奇跡」とは冒頭に掲げた意味もあるが、少年が知恵を働かせ、自らを救った「軌跡」でもある。
ヒトラー政権において、ユダヤ人が強制収容所へ収監され、命を奪われた歴史は様々な文献に残されているが、本書でのユダヤ人への迫害はこんな風に始まる。
それは著者が小学校入学の時、自分とそう年の変わらないナチ党の青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」とその下部組織の子どもたちに襲撃を受ける。
子どもが子どもを襲う。幼い著者は初めて異分子として迫害されていることを実感する。その日から人生は大きく変わっていった。
突然、大勢の兵士や役人が自宅になだれ込み、家も財産も、すべてを取り上げていく。少年の日常は跡形もなく壊されてしまった。
父が強制労働で稼いだわずかな賃金で、家族は命をつなぐが、それも長くは続かない。
ユダヤ人が外出する時は、黄色のダビデの星のマークをつけて、それとわかるようにしなければならない。誰から見ても「標的」とされかねないマークをつけて外に出る恐怖は計り知れない。
どんどんと居場所を削り取られ、生きる気力も奪われていく。十二歳になったある日、家族三人はゲットーへ送られた。
「生きる値打ちも守る値打ちもないただのユダヤ人」
こう著者は記す。人間としての尊厳は一切なく、ただの労働力として家畜以下に扱われ、役に立たないと判断されたら処分――それが自分たち、ユダヤ人だった。
精神を病んだ父は死に、母とも生き別れてしまった著者はたったひとりになった。頼れるのは自分だけだ。
こんな出来事がある。著者は農場で屈強で逞しい二人のポーランド人の男――兄弟と知り合った。彼らに気に入られ、月曜日になるとパンをもらうようになるが、実は兄弟はユダヤ人の絞首刑執行人で、日曜日の絞首刑を終えた臨時報酬がそのパンだった。
ユダヤ人の仲間が殺され、その報酬で著者は生かされたのだ。
人間を殺めた者が、別の人間を救う。つまり人種でユダヤ人を選別しながら、同じユダヤ人に情をかけている。人間は矛盾した生き物だ。そしてその矛盾のうちに救われる命がある。
収容所を移動し、著者は厩番の仕事に就く。
馬は囚人であるユダヤ人よりも扱いが良い。馬の世話をしながら、その餌を盗み、仔馬を産んだ牝馬からミルクを盗み飲む。
厩での仕事は腹を満たすだけではなかった。いつ処刑されるかわからない日々で、唯一生き物のぬくもりを感じ、人間でいられた時間なのかもしれない。
どんどん人間らしい心が奪われていく一方の強制収容所で、アイヴァーという友人ができたところも少しホッとした。収容所で心の内を見せあえる相手がいてくれて、どれほど救われただろう。
アイヴァーか自分のどちらかが生き残っていれば相手を覚えていてくれる――死と隣り合わせで生きている二人ならではの友情だった。
ついに収容所はアメリカ軍によって解放され、十六歳になった著者は親戚を頼ってアメリカへ渡る。それから七十年の時を経て二度と戻らないと誓ったドイツを訪れた。
思い出すのも辛い経験を振り返り、本書を記したのは、アイヴァーとの友情と同じく自分自身の人生を残すためであり、このホロコーストが二度と起こらないように、というメッセージであろう。
著者が語る「寛容」の世界は、奇跡では生まれない。人間が実現するべきものだ、と訴えている。








