『人間失格』『走れメロス』『斜陽』。時代を超えて若者から愛される作家の危うい魅力。声に出して読みたい太宰治
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今なお若者を中心にファンを増やし続けるカリスマ作家・太宰治。
名前やタイトルは知っているけどほとんど読んだことはない、でもちょっと気になる……。そんな方のために、“はじめの一歩“にピッタリなシリーズをご用意しました!
その名も「声に出して読みたい文豪シリーズ」。
NHKEテレ「にほんごであそぼ」総合指導などをつとめる齋藤孝さんによる丁寧な解説で、作家の魅力を楽しく紐解きます。文豪たちの美しく迫力のある文章を声に出してお楽しみください!
※本作は『文豪ナビ 太宰治』(2004年/新潮文庫)に収録された作品を再録したものです。
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文学のミッションに生きた迫力――太宰治
さて、いきなりですが、質問です。太宰治の第一創作集のタイトルは何でしょうか? 答えを出す前に、その第一創作集の最初の作品「葉」の冒頭を声に出して読んでもらいたい。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
これが初めて出す創作集の冒頭だというのだから普通じゃない。自殺を少し引き延ばすという話だが、たったこれだけの文章なのに、妙に心に残る。死を前にしている人間としては不思議な明るさがある。この文章は二十代に書かれたものだ。創作集のタイトルは『晩年』。二十代なのに、いきなり「晩年」というのもオリジナリティにあふれている。
ただ生活に疲れて死を考えているわけではない。太宰治には「文学を書く」というミッションがあった。ミッションというのは神から与えられた使命のようなものだ。自分の存在を単純にポジティブ(肯定的、積極的)には捉えることができない。大地主の息子として生まれ、革命の戦士としてのアイデンティティも失い、行き場がなくなり女と心中を図る。神の計らいか、すっと上手には死ぬことができない。女だけが死んでしまう。生き残った命にはミッションだけがある。
どうせ死ぬのだ。ねむるようなよいロマンスを一篇だけ書いてみたい。男がそう祈願しはじめたのは、彼の生涯のうちでおそらくは一番うっとうしい時期に於いてであった。男は、あれこれと思いをめぐらし、ついにギリシャの女詩人、サフォに黄金の矢を放った。
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生活。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさどうにか、なる。
私の顔がきれいにうつっている、というのじゃない。きれいな私の顔がうつっている、というのだからおもしろい。実際太宰は細くて顔もかっこよかったから、女にモテた。新潮文庫版のカバーに付いている写真を見て欲しい。こんな雰囲気のあるいい男が死ぬことを考えていたら、ついて行ってしまう女の人がいてもおかしくはない。太宰治の魅力は、危うさにある。死にそうになるギリギリのところで、何かに勇気づけられてもう少し生きてみようと思い直したりする。根っから生活力にあふれたたくましい男では、この危うい魅力は出せない。
太宰治がモテる理由は他にもある。女性の心をつかんでいるのだ。女性心理の核心をつかんでいるだけではない。周りの細かな襞々までもしっかり感じ取っている。しかもその微妙な心理のあやを言葉にする技においては、当の女性以上だ。これでは太宰にハマる女性読者が後を絶たないのも頷ける。
「女生徒」(『走れメロス』に収録)は、十代の女の子の独白のスタイルになっている。冒頭はこうだ。
あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。
朝の目覚めの何とも言えない感じが、とても男性が書いたとは思えない軽やかさで表現されている。書かれたのは太宰が三十歳の時だ。昭和十四年の作品とはとても思えない。今の女子高生の気分が描かれていると言ってもそんなにおかしくない。微妙にイライラ、ムカムカするような感覚。「ムカツク」とまでは吐き捨てないが、何とも言えない不機嫌さや攻撃性が、戦前の女生徒にもあったのかと思わせる。大人を見たときに感じる生理的な嫌悪感。現代にも通じるこのムカムカする感覚は、たとえばこう描かれている。
けさ、電車で隣り合せた厚化粧のおばさんをも思い出す。ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。金魚をいじったあとの、あのたまらない生臭さが、自分のからだ一ぱいにしみついているようで、洗っても洗っても、落ちないようで、こうして一日一日、自分も雌の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また、思い当ることもあるので、いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。ふと、病気になりたく思う。うんと重い病気になって、汗を滝のように流して細く痩せたら、私も、すっきり清浄になれるかも知れない。
不潔さや生臭さ、あるいは脂ぎった感じに対する生理的な嫌悪感が、実に見事に表現されている。今ここで女生徒がつぶやいているようだ。もっとも現在は、こんなに細やかな言葉で自分の感情を表現するわけではない。今なら「ムカツク」一言で済ませてしまうものが、こんなに豊かなニュアンスをもった言葉で綴られる。太宰の女性独白文体を読むことで、ずいぶんと心理的な成長を遂げることができるのではないだろうか。
太宰は「葉」の中で「役者になりたい」という一行を書いていた。「女生徒」という作品では、太宰はまさに役者になっている。それも見事な女形だ。小説家というのは、人間理解力の達人だ。しかもただ理解するだけではなくて、役者のようにリアルに演じることができなければならない。女性心理を分析するのではなく、それを内側から生きて見る力が必要なのだ。これは才能がなきゃできない。他人の感覚の内側へ入り込むようなものだからだ。
小説家は、何とも言葉にしにくい感覚を的確に言葉にする職業だ。しかもその微妙な感覚を他人の身体に入り込んだ形で表現する。感覚と言葉、そして想像力が優れていなければできない技だ。「女生徒」のラストはこうだ。
私は悲しい癖で、顔を両手でぴったり覆っていなければ、眠れない。顔を覆って、じっとしている。
眠りに落ちるときの気持って、へんなものだ。鮒か、うなぎか、ぐいぐい釣糸をひっぱるように、なんだか重い、鉛みたいな力が、糸でもって私の頭を、ぐっとひいて、私がとろとろ眠りかけると、また、ちょっと糸をゆるめる。すると、私は、はっと気を取り直す。また、ぐっと引く。とろとろ眠る。また、ちょっと糸を放す。そんなことを三度か、四度くりかえして、それから、はじめて、ぐうっと大きく引いて、こんどは朝まで。
おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。
つい、「えっ? もう二度と会えないの?」と聞き返してしまいそうなラストだ。普通なら人に話すことなどない秘密の感覚。それを自分だけが打ち明けられている。そんなスペシャルな感覚を、太宰の作品は味わわせてくれる。生きている人間が秘密を直接自分一人に話しかける。そんな贅沢さがどんな短編にもあるのだ。自分をスペシャルな読者にしてくれる作品だからこそ、読者にとっても太宰はスペシャルな作家になる。一つ読むと次に読みたくなるのは、そのせいだ。








