『羅生門』『蜘蛛の糸』『鼻』。読者を引きずり込む毒気とユーモアを含んだ名文の数々。声に出して読みたい芥川龍之介
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多くの教科書に掲載されている『羅生門』や『蜘蛛の糸』を生み出した天才作家・芥川龍之介。
名前やタイトルは知っているけどほとんど読んだことはない、でもちょっと気になる……。そんな方のために、“はじめの一歩“にピッタリなシリーズをご用意しました!
その名も「声に出して読みたい文豪シリーズ」。
NHKEテレ「にほんごであそぼ」総合指導などをつとめる齋藤孝さんによる丁寧な解説で、作家の魅力を楽しく紐解きます。文豪たちの美しく迫力のある文章を声に出してお楽しみください!
※本作は『文豪ナビ 芥川龍之介』(2004年/新潮文庫)に収録された作品を再録したものです。
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香気を放つ名文――芥川龍之介
文章の良し悪しをどうやって評価するか。まあ、これにはいろいろな基準ややり方があるだろう。私の場合ははっきりしている。適当なところを選んで声に出して読んでみるのだ。そうすると、まったく笑ってしまうほどにはっきりと文章の質がわかる。
黙読しているだけではわからなかった質が見えてくるのだ。特に会話文のところを読むとはっきりする。出来の悪いものは、音読するのがばからしくなってくる。不自然な会話はまずダメだ。しかし自然で日常的な言い回しならいいかというと、これでは文学的な香気が足りない。日常会話を聞きたくて文学を読むわけではない。非日常的な力を持つ言葉を自然な形で読みたいのだ。これは実に贅沢な要求だ。しかし、文豪たちは、この傲慢な要求に応えてくれる。
芥川龍之介の文章は、音読するほどに香気を放つ。文章に気品があるのだ。王朝時代に題材をとったものが多いので、いっそう言葉から漂う香りは芳しいものになる。それもただいい香りというのではない。文学らしい毒気のある香りだ。たとえば私の好きなのは、『地獄変』の中の天下一の絵師の言葉だ。大殿から言いつけられた地獄変の屏風を描くに当たって、絵師の良秀は見なければ描けないものがあると大殿に言う。
「私は屏風の唯中に、檳榔毛の車が一輛空から落ちて来る所を描こうと思っておりまする」…………「その車の中には、一人のあでやかな上臈が、猛火の中に黒髪を乱しながら、悶え苦しんでいるのでございまする。顔は煙に咽びながら、眉を顰めて、空ざまに車蓋を仰いでおりましょう。手は下簾を引きちぎって、降りかかる火の粉の雨を防ごうとしているかも知れませぬ。そうしてそのまわりには、怪しげな鷙鳥が十羽となく、二十羽となく、嘴を鳴らして紛々と飛び繞っているのでございまする。――ああ、それが、その牛車の中の上臈が、どうしても私には描けませぬ」…………「どうか檳榔毛の車を一輛、私の見ている前で、火をかけて頂きとうございまする。そうしてもし出来まするならば――」
良秀の頭の中にはもうすでにイメージはある。しかしそこに命を吹き込む必要があるのだ。そのために一人の美女を実際に焼き殺してもらいたいというのだ。とんでもないやつだが、芸術家のすごみが存分に出ているセリフだ。
良秀は自分の芸術のためならば人を人とも思わない。傲岸不遜ながら、その器は大きい。この良秀の願いを聞き入れる大殿様も負けず劣らず器がでかい。しゃべり方からして豪勢だ。
「おお、万事その方が申す通りに致して遣わそう。出来る出来ぬの詮議は無益の沙汰じゃ」…………「檳榔毛の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上臈の装をさせて乗せて遣わそう。炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が、悶え死をする――それを描こうと思いついたのは、流石に天下第一の絵師じゃ。褒めてとらす。おお、褒めてとらすぞ」
今では誰一人、こんな話し方をする者はいない。声に出して読んでみると、こちらまで豪勢な気分になってくる。まさに言葉の寝殿づくり。無駄なまでに、きらびやかだ。
しかも、言葉の中に毒が入っている。芸術のために一人の女を焼き殺す。このあたり、文学的な毒の匂いが充満している。大殿様が車の中に入れたのは、良秀が溺愛している一人娘であった。燃え盛る火の車の中に自分の娘を見たときの良秀は、おそれと哀しみと驚きとに包まれた。車から火の柱が星空に突き上げる。それを前にして立ちつくしていた良秀の顔から、地獄の苦しみが消え、恍惚とした輝きが浮かんできた。美しさに魂が奪われたのだ。このときの良秀の様子を描写した文章がまたいい。
しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の断末魔を嬉しそうに眺めていた、そればかりではございません。その時の良秀には、何故か人間とは思われない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳さがございました。でございますから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまわる数の知れない夜鳥でさえ、気のせいか良秀の揉烏帽子のまわりへは、近づかなかったようでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光の如く懸っている、不可思議な威厳が見えたのでございましょう。
しっかりと目に浮かんでしまいますね。映画にしてみたら、すばらしいシーンが撮れるんじゃないだろうか。映画監督になりたいという妄想さえ抱かせてしまうような名場面だ。文体が「ございます」という丁寧語であるのもまたすごみにつながっている。強烈な場面を丁寧な文体で描かれると、感情を上手に抑えた演技をする名優のように迫力が出てくる。








