シリーズ最終にして怒涛の最高傑作! 桐野夏生最新長編『ダークネス』【試し読み】⑦

桐野夏生『ダークネス』刊行記念特集

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桐野夏生の江戸川乱歩賞受賞作『顔にふりかかる雨』で登場した主人公・村野ミロは、桐野氏の原点ともいえます。

その後いくつかの作品で活躍したミロは、およそ20年前の『ダーク』を最後に姿を消しますが、今回『ダークネス』で戻ってきました。

60歳になって―息子を守るための、ミロ、最後の闘い。「これを書くまで死ねないと思っていました」と桐野氏が語る本作を見逃さないでください! 

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ダークネス

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 その時、店主がサービスだと言って、切り干し大根入りの卵料理を持ってきたので、手を出さないミオの代わりにハルオが受け取った。
「ほら、サービスだってさ」と、皿をミオの目の前に置く。ミオは虚ろな目で料理を眺めている。
 ハルオは自分の言ったことが、ミオを傷付けたのかと慌てていた。いつだってそうだ。ハルオはミオに対して誰よりも気を遣うし、この世で一番愛している。リナに、マザコンとからかわれても仕方がないのだった。
「ハルオ、今日は何だか変だね」
 ミオがハルオの顔を見る。
「そうかな。俺はいつもこうだよ」
 ハルオは急に偽悪的というよりも、好戦的な気分になった。ミオを困らせてやりたくなる。
「いいことを思いついた。俺がリナさんと結婚すればいいんだろ。そしたら、店はリナさんのものになる。別にしがらみでも何でもないよ。正当な理由だ」
「それは無理よ」
 ミオが、にべもなく言う。
「何で。俺が若いから?」
「違う。リナは結婚してるもの」
「マジかよ」
 初耳だった。ハルオは衝撃を受けたが、顔に出さないように必死に努力した。
「マジよ」
 ミオはハルオの顔を見ずに、繰り返した。その後は黙ってビーフンを食べている。
「相手は?」
「よく知らないけど、確か私より年上の男よ。建設業者だったと思う」
 自分は単なる遊び相手に過ぎなかったのか、とハルオは傷付いた。十八歳も上のリナと結婚してもいいと思ったのに、リナはさらに二十歳以上も年上の男とすでに結婚していたのだ。何食わぬ顔で高校生の自分を誘惑したリナを、ハルオはどう考えていいのかわからなくなった。
「子供はいるの?」
「娘がいるわよ、確か。うちの店に来た時に、保育園に預けていると答えていたから。今は、お母さんのところにいると思う。中学生くらいになったんじゃないかしら」
 中学生と聞いて、ハルオは愕然とした。自分は中学を出てすぐに、リナと関係したのだ。
「何で、お母さんのところにいるんだよ?」
「ダンナは刑務所に入ってるのよ」
 ミオは、どこかに旅行に行っているとでもいうような軽い口調で言った。
「刑務所?」
「そう。確か本州のどこかに収監されているはず」
「何だよ。殺人でもしたのかよ」
 ハルオは腹が立って、つい大声を出した。二人掛けの席に一人座っていた若い男が、びっくりしたように振り向いた。
「罪状は知らない。ともかく、この五年以上は入っている」
 ちょうど自分と付き合い始めた頃ではないか。俺は亭主の代わりだったのか。今すぐ店に引き返して、リナの襟首を掴んで問い詰めたかった。そのくらい、頭に血が昇っていた。
「ハルオ、リナとのことはあんたの勝手だから、私は何も言う気はないよ」
「当たり前だろ」
 今さら、そんなことを言うミオにも腹が立っている。ハルオはビールを一気に飲み干してから、グラスを乱暴にテーブルに置いた。店主が非難するようにこちらを見たが、気にしなかった。
「ところでさ、ミオ。俺の本当の父親って、生きてるの?」
 今まで訊いたことのない質問をした。ついさっき、ミオを傷付けたのではないかと心配した自分が、さらにミオの傷をえぐろうとしていた。
「知らない」
 ミオが首を横に振る。
「どうして知らないんだ」
「相手が誰かわからないから」
「複数いるからわからないってこと?」
「そういうことだよ」
「しがらみを作ろうとしない人間が、複数の男と関係を持つのか?」
「若かったんだから、いいじゃない」
 ミオが笑ったが、ハルオは納得しない。