スイーツ武士×イケメン僧侶バディの新感覚時代小説『鬼にきんつば』試し読み②
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新人デビュー作にもかかわらず、発売即重版が決まった話題作。「とても面白かった!最後にほろり」と日本ファンタジーノベル大賞選考委員の恩田陸さんも大絶賛。幽霊譚×謎解き×捕物帳×江戸のスイーツ! 鬼のようなコワモテ同心と美しすぎるイケメン僧侶の最強バディが、幽霊のもたらす謎を解く、大江戸人情ミステリーです。きんつば、落雁、豆大福、粟おこし、幾世餅……美味しそうな江戸のスイーツもたくさん登場します。
笹木一『鬼にきんつば 坊主と同心、幽世しらべ』を、5日連続で試し読み特別公開いたします。
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坊主に家賃を値切られた。語呂は良いが、小平次にはまたしても予想外な事である。
しかし、托鉢僧となれば身入りも安定しないであろうし、値切りのひとつもしたくなる気持ちは分からぬではない。世知辛い事ではあるが。とはいえ、本来なら一分二朱で貸し出している家である。松蔵の顔を立て、すでに二朱値引きしているのだ。
「広いとは言わぬが、長屋とは別棟ですし、小さいが庭もある。この辺りの相場を見ても決して高くはないと思うのだが」 と小平次が努めて穏やかに言う。
「ええ、この家を世話してくださった、松……松之助?」
「……松蔵ですかな」
「その方もそう仰っていました。しかし、人が殺された家で月一分はどうかと」
「は……?」小平次は我が耳を疑った。人が……?
「殺された、と申されたか」
「ええ」
小平次の訝しげな視線を受けても、蒼円は相変わらずのんびりと茶をすすっている。
「面妖な事を……私は父が亡くなった四年ほど前から、北町奉行所で同心のお役目を奉じております」
「ほほう。それは勇ましい」
「いえ、ですから、この家で人殺しなどあれば、私が知らぬはずがない」
すると今度は、蒼円のほうが意外そうな顔をした。
「おや。大家どのが、ご存じない」
「ご存じないも何も、ここで人が殺された事などありません」
「それは……」蒼円は隣の板の間の方へ視線を移し、右手をこめかみのあたりに添えた。「面妖ですね」
その横顔にうっすらと浮いた微笑は、何故か小平次の背筋をヒヤリとさせた。
「蒼円殿。その、家賃が不服とはいえ……」
小平次が当惑しつつも言いさした瞬間、蒼円がぱっとこちらに向き直った。
「これはなんと。大家どのは、私が家賃を下げたいが為に、ここで人殺しがあったなどと言い立てる生臭坊主だと仰るか。それはまことに心外なことです」
「いや、何もそこまでは」
「私は少々怒りました」
「は?」
怒りました、と言いながらその面上に怒りの表情は浮いていない。むしろ小平次を哀れむような、どこか寂しげなまなざしが向けられている。
「気に障ったのなら申し訳ない。しかし御坊があまりに──」
言い終わらせず、蒼円は無言のまますらりと立ち上がった。そして音もなく小平次の後ろに回ると、片膝をつき、そのたくましい背中にそっと己の手のひらをあてた。
「何を……」と振り向こうとしたその瞬間、小平次の背中に今まで感じたことのない硬く鋭い冷気が、背骨から耳へ突き抜けるように走った。衝撃と共に視界がぐらりと揺れる。
「うっ!」
思わず呻き、前へのめった小平次の耳に、蒼円のささやきが聞こえた。
「あちらを」
後ろから伸びた蒼円の左手が、板の間の向こうを指し示す。小平次は釣り込まれたようにそちらへ顔を向けた。板の間との境の襖は開け放たれ、土間まで見通せる。
その、土間に接する上がり框のあたりに、人の姿らしきものが揺らいでいた。
女だ。女が立っている。いや、立っていない。女には腰から下が無い。まるで女の上半身が上がり框に突然生え出したように見える。女は肩を落とし、首を横にぐんにゃりと曲げたまま、何事か呟くように口を動かしていた。
「ぬえ?」
小平次からあられもない声が出た。まさか、と思う。まさかあれは──