正義は、悪は、絶対なのか。価値観のゆらぐ今こそ問いたい、「日本ファンタジーノベル大賞2026」受賞作『朱天の都』試し読み④

「日本ファンタジーノベル大賞」特集

更新

森見登美彦さん、畠中恵さんなどを輩出した前身の「日本ファンタジーノベル大賞」の衣鉢を継ぐ形で復活して以来、最終候補作のレベルの高さで各選考委員を唸らせ、気鋭の受賞者を世に送り続けている「日本ファンタジーノベル大賞2026」。今回の受賞作は、令和によみがえる酒呑童子伝説『朱天の都』(加賀谷きよい著・新潮社刊)です。

舞台は、政治腐敗が進み、都を取り巻く山に鬼が跋扈していた平安中期。尚侍は偶然出会った鬼の首領・朱天童子と密かに交流を深めていますが、近年の禍を全て鬼のせいだと断じた帝は朱天の討伐を命じます。

「キャラクターの肉付けがいきいきとしていて、おかしみもあり、読んでいて素直に楽しめた。オチも好感が持てる。」恩田陸。
「鬼たちを生み出す過酷な社会の描写には、うっすらと現代社会も透けて見え、「うねりのあるストーリーを語ろう」という心意気が強く感じられた。」森見登美彦。
「思いがけない発想と展開に好奇心を突き動かされた。利他のふりをした利己があたりまえに横行する現代の世の中で、この物語は読む価値がある。」ヤマザキマリ。

人を脅かすものの正体は本当に鬼なのか。
人と鬼、共に生きることはできないのかと問い続けた、
選考委員も大絶賛の本作の冒頭部分を試し読み公開いたします。

*****

 藤原保昌は頬に当たる夕風の中に花の香を嗅ぎ取ってふと足を止め、手を懐に差し込んだ。 
「保昌」 
 よく知った声に呼び止められ、懐の中の筆と懐紙を離して手を抜く。 
「おい、気を遣うな。何を詠もうとしていたのだ?」 
「少なくとも男の前で詠むような和歌ではないですよ」 
 保昌はその色白の細面にふっと笑みを浮かべた。一見柔和そうな顔立ちだが、対する者に緊張感を与えるのは怜悧さを宿した細い目元ゆえだろう。 
「もったいぶりやがって。これから忍んでゆくのか?」 
 そう尋ねた公達は、保昌とは対照的に肌の色は浅黒く彫りの深い顔立ちで、体つき逞しく上背もあり、いかにも武人といった風情であった。くっきりとした眉や大きな口が、快活で豪放磊落な印象を与える。そして、見るからに上等な海老茶の直衣姿。やはり長身の、明るい碧色の狩衣をまとった保昌と並ぶと、たいそう見栄えがした。この男、名を源頼光という。 
 平安遷都より二百年。かびの生えたような作法しきたりに雁字搦めになり、機微を推し量りすぎてうっかり色々押し潰してしまいそうな勢いの年嵩女房たちとのやりとりに、宮中の若い女房らはだいぶ辟易としていた。そのような女たちには、かえってこういうざっくばらんな風味の男が好まれるのだった。 
「まさか。大人しく家に帰りますよ」 
 都を東西に二分する朱雀大路を南へゆけば、六条を過ぎたあたりで空気が変わる。貴族の邸宅が並んでいた町並みは七条の市を中心に商業地へと変わり、雑多な賑わいを見せる。更に南下していけば徐々に不穏な空気も漂ってきて、行き交う人々にも貧民、浮浪人の類が交じってくる。 
「そういえば今日は東寺の祭礼だったな」 
 頼光が思い出したように言った。 
…」 
 保昌は答えない。 
「おや、お前の屋敷へ曲がる道は、過ぎたのではないか?」 
…方違えで…」 
 歯切れが悪い。 
「下手な嘘を」 
 一笑に付され、保昌も観念して苦笑を漏らした。 
「好きなんですよ、祭が」 
「遊び女に騒がれるのが、であろうが。いい歳をして」 
 頼光は呆れ半分、からかい半分で言った。 
「ときに、年相応に良識ある備前守どのは、どちらまでゆかれるので?」 
「なに、俺もちと弘法大師の恩寵にあずかりたくなったまで―」 
 頼光はそこで言葉を切り、腰に佩いた太刀に手をかけた。一瞬遅れて保昌が背中合わせに身構えたのとほぼ同時、ぎゃあぁ―と小路から声がした。七条南の塩小路、二人が飛び込むと視界をひゅんと赤が過った。