【試し読み】平野啓一郎最新短篇集『富士山』①「息吹」

平野啓一郎『富士山』 10年ぶりの短篇集 刊行記念特集

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かき氷屋が満席だったという、たったそれだけで、生きるか死ぬかが決まってしまうのだろうか?

かき氷屋が満席のため、たまたま入ったマクドナルドで、齋藤息吹は大腸内視鏡検査の世間話を耳にする。その後、自分でも検査を受けてみた彼は、初期の大腸ガンを発見され、無事に手術を終えた。ところが、何故か息吹には、あの日、自分がかき氷を食べた記憶が残されていた…。

平野啓一郎さんの最新刊『富士山』(10月17日発売)は著者10年ぶりとなる短篇集。ごくありふれた人物の「あり得たかもしれない人生」を描いた5つの短篇作品の、それぞれ冒頭部分を5日間連続配信します。第1回は「息吹」です。

 平野啓一郎さんからメッセージです。
「あり得たかもしれない幾つもの人生の中で、何故、今のこの人生なのか?──幸福の最中にあっても、不幸の最中にあっても、この疑問が私たちの心を去ることはないだろう。誰かを愛するためには、自分の人生を愛せないといけないのか? それとも、自分の人生を愛するために、私たちには、愛する誰かが必要なのか? 些細なことで運命が変わってしまう。これは、絶望であるかもしれないが、希望でもあるだろう。私たちの善意は、大抵、ささいなもののように見えているのだから。私たちが前を向くきっかけは、確かに、どこにでもあり得る」

読者の皆様からも「読んだことのない不気味さで、心地よかった。」「自分の足元も揺らぐ感じがして、どんどん読んでしまった!」との声をいただいている話題の短篇をお楽しみください。

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 齋藤息吹さいとういぶきが、その日、池袋のマクドナルドでアイスコーヒーを飲んでいたのは、たまたま、、、、だった。
 梅雨入り前の日曜日の午後だった。
 一人息子の悠馬ゆうまを塾の模試会場に迎えに行ったが、いつもならば、同じように子供を待つ父母らで溢れ返っている建物周辺に、まるで人気ひとけがなかった。出入口の係員に訊いてみると、解説授業の終了は三時十五分の予定だという。間違えて、一時間も早く来てしまったのだった。
 息吹は、自分の間の抜けていることに呆れながら、どこで時間を潰そうかと考えた。
 東京はこの日、夥しい光が降り注ぐ晴天で、空は青く、雲は白く、午後二時頃には、気温が三十六度に達していた。気候変動が進んで、少々のことでは驚かなくなっていたが、さすがにこの時期の猛暑日は異例だった。おまけに湿度が高く、白いポロシャツにカーキ色の短パンという気楽な格好の息吹も、駅から歩いてくる間に、胸や背中に不快な汗をかいていた。
 周囲を適当に歩いていて、「かき氷」という青いのぼりの赤い文字が目に入った。
 老舗らしい和菓子屋に、カフェ・スペースが併設されている。そう言えば、今年はまだかき氷を食べていなかった。自動ドアから、クーラーの効いた店内に入り、奥まで進んだが、順番待ちの客が七組もいると告げられ、諦めた。
 その後、店を探したもののどこも混んでいて、結局、マクドナルドで、アイスコーヒーを飲む羽目になった。一人でマクドナルドに入ったのは、何年ぶりだろうか? 十年、…いや、十五年ぶりくらいかもしれない。学生時代は、彼も随分とマックの世話になったが、今では悠馬にねだられて店に入っても、ナゲットを一つ二つ摘まむ程度だった。
 ハンバーガー自体は好物で、近年立て続けに日本に進出したアメリカの新しいチェーン店は、大方、試している。そういう店で、溢れんばかりのチーズやベーコン、滑り落ちそうなほど大きなアボカドの入ったハンバーガーを征服するようにかぶりつくようになって以来、要するに、マックはもう卒業してしまったのだった。
 店内には、休日の午後でも、パソコンを開いて仕事をしたり、教科書や参考書を並べて勉強したりしている客が少なからずいて、コーヒーだけというのも、案外、珍しくなかった。時間が時間だからかもしれない。
 窓が大きく、クーラーで冷えた店内には、午後の眠気を誘うような光が横溢おういつしている。
 携帯を弄りながら、息吹は時折、店内をぼんやりと観察し、自分はもうこの世界には属しておらず、今日は本当に、たまたま、、、、ここにいるのだと感じた。